陽明学左派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 03:38 UTC 版)
朱子とその弟子たちは、いわゆる偽学の禁という政治的な問題を起こしたが、社会的な問題は起こさなかった。対して、陽明学派は、主に政治問題ではなく社会問題を引き起こした。 陽明学は、陽明の死後、今日のことばでいえば左派と右派とに分裂し、左派(その中核はいわゆる泰州学派)はいわゆる陽明学の横流、心学の横流と呼ばれる現象をひきおこした。すなわち、陽明学派のあるものは社会的通念、権威、に挑戦し、既成道徳をふみにじるにいたり、積極的には道徳的混迷、社会不安を、消極的には社会的頽廃をひきおこした、というのである。左派は理論的・実践的にラディカリストであった。 ラジカルという意味は、おおよそ士大夫存在において、士大夫、読書人、としてふさわしいあり方、伝統的に形成せられているらしさ、いわゆる矩矱というものと、聖人をめざす理論・実践というものとの二つの極を考えることができるが、その場合、聖人という理想に対してあくまで忠実であろうとして、いわゆる矩矱を無視し、のりこえるに至る、それをいうのである。ふるい矩矱、名教は、単に習慣的なもの、外化したもの、仮、偽善、としてうちすてられ、攻撃せられるであろう。 それに対して右派は、正統的な士大夫派、名教護持派である。左派の活動が活発になるにつれて、右派は自覚的・無自覚的にますます朱子学寄りになり、たとえば陽明が蛇足にすぎないとした敬が積極的に主張せられるようになったりした。
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