その著書と思想
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黄宗羲は一代の陽明学者である劉宗周に師事していた。自身は陽明学者であったが、明末の陽明学左派が陥った観念だけで事物を論じる空疎な学問には否定的であった。実証的な学問、すなわち実践を尊び事実に即した学問を説いた。その学問は単に歴史学に留まらず経学・地学・数学などの各分野にわたり考証学の中でも浙東学派の祖と称される。 代表的な著述をみていくと、例えば1663年に『明夷待訪録(中国語版)』を著している。東林党及び復社の影響を強く受けた政治思想の中から、政治・制度・経済・軍事・学問などあらゆる角度から理想の国家の在り方を説いた。彼は明や清にみられるような皇帝独裁の専制政治を批判し、『孟子』に基づくような皇帝と臣下、国家と人民の存在を論じた。 1676年には『明儒学案(中国語版)』を著した。明を代表する数多の学者の列伝・思想・批評を体系化したもので、中国において最初の体系的学術書と称される。さらに彼は明の前史である宋・元の思想史である『宋元学案』の著述に取り掛かるが完成を待たずに病没、門人の全祖望らが追補を行い、さらに道光年間に補遺が行われている。 この他、『明文海』『明史案』『大統暦推法』『四明山志』など、彼の博学はその多数の著書に活かされている。
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