その芸風と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 03:26 UTC 版)
「澤村源之助 (4代目)」の記事における「その芸風と評価」の解説
明治18年から明治24年にいたる短い期間が源之助の全盛期であっただろうと作家の岡本綺堂は観察している。源之助といえば「水も滴るようなお女郎役者」として少年の頃の綺堂の記憶に刻みつけられていたのだ。 三代目澤村田之助の芸を継承し、悪婆とよばれる色気のある世話物の悪女役を得意とした。当り役は切られお富、うわばみお由、女團七、鬼神のお松、姐妃のお百、蝮のお市など。これらの悪婆の芸は、五代目河原崎国太郎や九代目澤村宗十郎に受け継がれた。他に立役では『梅雨小袖昔八丈』(髪結新三)の新三、花魁役では『籠釣瓶花街酔醒』(籠釣瓶)の八つ橋、『侠客春雨傘』の丁山(初演時に主演の九代目市川團十郎から特に指名を受けた)、『天衣紛上野初花』(直侍)の三千歳など。 『夏祭浪花鑑』の徳兵衛女房おたつ役で、「妾がほれているのは顔やない」と胸を叩き「ここでござんす」ときまる現行の型は源之助が創造した。 国文学者の折口信夫は『役者の一生』(昭和17年・1942)で源之助の芸風を分析し、三代目田之助の死で絶えかけた悪婆の芸を「一時、間に合わせに源之助がさせられたのだが、それが、源之助の役柄を決定してしまったのであった。こうして源之助は人々の渇望に応えて華々しく世に出たのであるが、それは又一面彼にとって不幸なことでもあった」と評し、持って生まれた美貌や芸力を十分に活かせなかったとしている。
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