『侠客春雨傘』
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この大口屋暁雨を芝居の主人公にした歌舞伎の演目に福地桜痴作の『侠客春雨傘』(おとこだて はるさめがさ)がある。明治30年 (1897年) 4月歌舞伎座において、九代目市川團十郎の大口屋暁雨で初演された。初め小説『侠客春雨傘』(きょうかく はるさめがさ)として春陽堂書店から発行したが、好評を博したので自ら脚色して歌舞伎化した。演劇改良運動の先鋒を自負する福地は、この作品を町人の武士に対する反抗と封建社会の階級制度に対する批判とした書いたといわれるが、その実は江戸歌舞伎の伝説的存在だった大口屋暁雨を九代目たっての願いで英雄譚に仕立て上げたものに他ならなかった。初演では九代目の暁雨と七代目市川八百蔵の釣鐘庄兵衛が絶讃を博し、興行は日延に日延を重ね、空前の大入となった。またこのとき暁雨(團十郎)の差した渋蛇の目が評判となり巷に大流行した。 この九代目の暁雨はその高弟七代目松本幸四郎に継承され、今日『侠客春雨傘』は高麗屋の襲名披露興行では必ず上演されるお家芸の一つとなっている。
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