背景と題材とは? わかりやすく解説

背景と題材

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 16:01 UTC 版)

助六」の記事における「背景と題材」の解説

助六』は歌舞伎形式上曾我もの」の演目。そのため侠客助六が「実ハ曾我五郎」で、白酒売りは「実ハ五郎の兄 曾我十郎」という設定である。 助六モデルではないか考えられている人物三人いる。江戸浅草米問屋あるいは魚問屋大店に大捌助六(おおわけ すけろく)あるいは戸澤助六(とざわ すけろく)という若旦那がいたという説、京・大坂でその男をもって名を馳せた助六という侠客だとする説、そして江戸蔵前札差で、粋で気前のいい文化人として知られ大口屋暁雨おおぐちや ぎょうう)だとする説である[要出典]。 このうち史家多く第一助六否定する。その理由一つが「助六」という名。これは上方でならありそうな名だが、江戸の「粋」の感覚からはどうにも野暮な名なのだという[誰?]。俳人増田龍雨は、易行院現在の東京都足立区にある寺院)に残る「助六の墓」について、実際に助六ものかは怪しいとしつつ、柳澤淇園随筆雲萍雑志』に義侠知られ米問屋「大捌助八」とその妻が易行院葬られたとある事から、助八の墓が助六転じたものかと推測している。 京・大坂の助六というと江戸幡随院長兵衛並び称されるほどの侠客だったという。これが総角あげまきという名の京・嶋原傾城果たせ恋仲になり、大坂千日寺で心中したのが延宝年間のことであるという。ただし詳細は伝わらず、したがって異説多く助六侠客ではなく大坂大店萬屋よろずや)の若旦那だったとする説、総角大坂新町太夫だったとする説、そして事件心中などではなく喧嘩殺され助六の仇を気丈な総角討ったものだとする説など、さまざまである[要出典]。 大口屋暁雨実在確認できる人物で、寛延から宝暦年間江戸芝居町吉原豪遊して粋を競った18人の通人いわゆる十八大通」の一人数えられている。「暁雨」は俳名で、実の名を治兵衛(じへえ)といった。俳諧書画骨董通じた文化人で、たいそう気前良かった。特に二代目團十郎贔屓筋だったことから、彼の務め舞台ならどんなに入りの悪い興行でも木戸買い上げてくれた。そうしたことから二人親交深めるようになり、江戸で次第に「團十郎助六大口屋を真似たもの」という噂が広まる。暁雨の方も助六そっくりの出で立ち吉原出入りし、「今様いまよう助六」などと呼ばれてご満悦だったという。どちらがどちらを先に真似たのかは不明だが、いずれにしてもこの頃から助六鉢巻大口屋の好んだ江戸紫染め直されたという。 大口屋暁雨は、明治になると彼自身歌舞伎題材にされている。福地桜痴作の『侠客春雨傘』がそれで、主人公は「元は札差大口屋の若旦那治兵衛といったが、今ではその名もとどろく侠客暁雨」という設定

※この「背景と題材」の解説は、「助六」の解説の一部です。
「背景と題材」を含む「助六」の記事については、「助六」の概要を参照ください。

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