背景などについての議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:38 UTC 版)
藤永壮は水野の論文を解説して高野雄一が1946年末までに「第三国人」についての定義を与えており、1947年にGHQが日本政府の意向を受けて「第三国人」を "Third Nationals" と訳した例が見られるとしてGHQ起源説を否定し、椎熊三郎の質問に対する大村清一の答弁が議会での最初の用例だとして、そもそも「第三国人」という言葉を使い始め広めたのは、警察、マスコミ、政治家、官僚だと主張している。そして、そのような経緯から、「「第三国人」が「不法行為」を行っているというイメージは、不当に誇張、宣伝され」たものだと主張している。 しかし、1946年の高野による「第三国人」の定義では「従来日本の支配下にあつた諸国の国民」で「外国人ではないが、同時に日本人と必ずしも地位を同一にしない」という当時の主に在日朝鮮人を述べただけのものであり、また上記のように藤永・水野は「「第三国人」が「不法行為」を行っているというイメージ」を日本人が「不当に誇張、宣伝」したと主張しているが、佐藤勝巳は、この用語に蔑視、畏怖が含まれるようになったのは、在日朝鮮人連盟をはじめとして、在日朝鮮人自身が戦後の混乱期に「連合国人(戦勝国民)」と自称して集団強盗、略奪、殴打暴行、破壊、占拠監禁などを日本各地で行って多くの日本人が殺害されていた事実があり、その事実を知った日本人が、公然と社会秩序を乱し何事も暴力で解決しようとする在日韓国・朝鮮人(三国人)は恐いと考えるようになるのは当然で、在日韓国・朝鮮人自身の行為が「三国人」なる言葉に特別な意味を含ませるようになったとしている。
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