背景と関連した人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 02:02 UTC 版)
防衛食容器は軍関連に納入されていた背景があるため、日本生活用品陶磁器配給統制株式会社や日本工業陶磁器配給統制株式会社などの陶磁器の配給をコントロールする統制会社に流通は経由されていなかった。戦争末期では軍の意向により政府による配給機構は無視されていた。 商工省陶磁器試験所長の秋月透は1943年時点で最近、陶磁器製容器に詰めた食料品が店頭に見られるようになったと書き、また陶磁器容器は金属よりも弱く重いが、錆が発生せず耐酸性があり、ガラスのような透光性もないことから、決戦体制下における完全なる食糧貯蔵の目的を果たすことを期待していると書いている。 軍や官公庁施設からの出土が多いことや配布の状況、戦後の容器としての二次使用の状況から、防衛食容器が作られた目的は、国民のためというよりも軍や官公庁などに向けての流通が主だったのではないかと考えられている。また戦時中の流通とは異なり、戦後の物資放出により空のままの容器が広範囲に広まったと考えられる。 政治学研究者の橋本文三は1945年(昭和20年)6月ごろ農林省食糧管理局で仕事をしていた時期があり、当時の課長が防衛食という陶器入りのかんづめを自宅に持って帰っていったと記し、食糧難のさなかにおける役人の役得について記している。 ほんの数年の期間に製作され消えていった防衛食容器について、平成5年に未開封品を実際に食べた阿部四郎は戦争の落とし子と評している。 1948年、谷川良太郎にインタビューした小谷道夫は 原子爆弾や航空戦で負けた日本軍閥とこれを取り巻く人達の科学尊重が実際にどの程度であったか(中略)発明家を生かす道でなく単なる金儲けの道具として利用されたに過ぎなかった と記している。
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