その芸術と業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 15:39 UTC 版)
石如の出現で清代の篆書・隷書が一変したといっても過言ではない。当時、顧炎武『金石文字記』・銭大昕『潜研堂金石文跋尾』などが流布し、小篆や古文を書くことが風潮になっていたが力強さに欠けて先人の李斯・李陽冰とはまるでかけ離れていた。こうした閉塞感の中、石如は独自の筆法を編み出し秦篆や漢隷の格調高さを呼び戻すことに成功した。またこの隷書の筆法で篆書する書法は、後世に大きな便宜を与えた。このような石如の活躍を背景に、阮元による『南北書派論』は法帖を拠り所とする帖学派に一撃を加え、碑学派を伸張させた。 篆刻ははじめ、何震・梁袠に師法したが、篆書の自由闊達な躍動を篆刻に活かし独自の印法を確立し鄧派を興した。この一派には孫弟子で鄧派を命名した呉熙載、その後に徐三庚・趙之謙・黄士陵など大家が連なった。篆刻芸術は数百年にわたって漢印と繆篆を基礎とする復古主義を貫いてきたが、石如によって初めてこの枠組みを打破することに成功した。これは篆刻芸術における石如の最も特筆すべき功績である。
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