篆書・隷書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)
篆書という書体は広義には古文(甲骨文と金文)・籀文(大篆)・小篆のすべてを含むが、狭義では小篆を指す。金文と小篆の中間的書体である籀文の代表的な筆跡は戦国時代の秦の『石鼓文』であり、書道史にとって大変重要な遺物となっている。そして、この大篆を基に秦の始皇帝が李斯に命じてつくらせたのが小篆であり、秦の刻石などに筆跡が現存する。 隷書は狭義では八分隷(単に八分とも)を指すが、まずは篆書の速書きからの古隷に始まる。古隷には波磔がなく、これに波磔などの装飾がついて八分となり、前漢時代すでに常用されていたことが近年の発見によりわかっている。漢代に入ると隷書は造形美を追求する方向と、本来の速書きを具現化する方向とに分かれていく。前者は後漢に建碑が流行したこともあり、『曹全碑』や『張遷碑』など芸術品として完成度の高い八分の刻碑が作られた。後者は章草を経て草書へと変化していく。
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