曹全碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 03:42 UTC 版)
曹全碑(そうぜんひ、八分隷)の全名は『郃陽令曹全碑(こうようれいそうぜんひ)』という。建碑は中平2年(185年)。明の隆慶から萬暦の間に郃陽県の旧城から出土した。碑額は出土の時からないが碑文はほぼ完全に残っており、全20行で初行から19行は各行45字、末行に「中平二年十月丙辰造」の9字で建碑の年月日(185年10月21日)が明記されている。碑陰の文字はやや小さく、建立関係者の名が5列57行で列挙されている。現在は西安碑林にある。 碑は曹全(字は景完)の治績を記した頌徳碑である。曹全は敦煌の人で、光和7年(184年)郃陽令となり、黄巾の乱を収拾した功績により建碑された。数多い漢碑の代表的名品であり、完成された八分の技法を示すものである。他の碑と比較して女性的とする評が多い。石質が堅牢で文字が非常に鮮明であり、出土以後拓本によって多くの書人に学ばれている。天保年間に日本へ伝えられた。
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