曹叡の実父説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 04:22 UTC 版)
魏の曹丕(文帝)と、曹丕が袁煕から略奪して妻に迎えた甄氏の子である曹叡(明帝)は、景初3年(239年)に36歳で死亡したと『三国志』明帝紀に記されており、逆算すると生年が建安9年(204年)となることから、『三国志集解』の著者盧弼は、曹叡が曹丕から特に冷遇されたことなども傍証に挙げて、曹叡の父は曹丕ではなく、袁煕ではないかと主張している。只そうなると、冀州で姑に仕える嫁と幽州に単身赴任の夫との間で如何すると子供が為せるのか、と謂う疑問が生ずる。また、36は38の誤記(三十八→三六)とする説もあり、その場合生年は建安7年(202年)となる。 一般には『三国志』明帝紀の享年が誤りだと解釈されており、例えば『三国志』の注釈者裴松之は曹叡の享年は34が正しいと主張している。この場合、曹叡の父は曹丕で問題ないことになる。
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