曹叡の出生に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 16:21 UTC 版)
『三国志』魏書明帝紀には、明帝が景初3年(239年)に36歳で崩御したと記されており、逆算すると生年が建安9年(204年)となることを挙げ、『三国志集解』の著者盧弼(中国語版)は、曹叡が文帝から特に冷遇されたことなども傍証に挙げた上で、曹叡の実父は文帝ではなく、甄氏の前夫の袁煕ではないかと主張している。 この説に従えば、曹操が冀州を攻め落とし、曹丕が袁煕の妻であった甄氏を略奪した時点で、後の曹叡は袁煕の子として既に世に生を受けており、曹丕はその子を(冷遇しつつも)養子として養育した、となる。 ただし一般には『三国志』魏書明帝紀の没年齢が誤りだと解釈されており、例えば『三国志』の注釈者裴松之は明帝の没年齢は34が正しいと主張している。この場合、明帝の父は文帝で問題ないことになる。
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