歴代住職とは? わかりやすく解説

歴代住職

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寂静寺」の記事における「歴代住職」の解説

初代 祐圓 1549年寂静寺創設 第2代 教西 第3圓智 寺地現在地に移す 第4代 順惠 第5代 順故 第6代 称界(別名普厳) 第7代 備後国金丸村西福寺より入寺し、本堂天井等の普請調える第8代 道振 寺庭に学寮教学堂」を設け寺院子弟教育明治19年1886年9月本願寺より勧学職を拝命第9代 雲臺 司教に進む。万延元年没。 第10代 裂網 第11楽勝 裂網の長男1876年生まれ仏教大学現在の龍谷大学考究院卒業後、同大講師・教授となり子弟教育にあたる。大正9年司教昭和8年4月勧学職を拝命昭和20年勧学寮頭就任昭和30年8月27日没。墓碑寂静寺大谷本廟双方存在第12代 勝友 法務傍ら社会福祉活動人権擁護委員保護司)を長年務める。昭和54年勲五等瑞宝章叙勲没後正六位追贈第13代 勝道 勝友の長男平成26年4月まで住職長男現住職。長女西福寺 (福山市新市町)坊守次女極楽寺 (下関市)現坊守第14代 正見 勝道長男平成26年4月より現住職。

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歴代住職

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伊豆実成寺」の記事における「歴代住職」の解説

1345年興国6年4月27日伊豆実成寺6代日要日誉〕寂 1429年永享1年12月19日伊豆実成寺7代日眼寂 1458年長禄2年7月5日伊豆実成寺8代日出1489年延徳1年12月9日伊豆実成寺9代日典1515年永正12年6月25日伊豆実成寺10代日能1539年天文8年9月6日伊豆実成寺11日相1543年天文12年伊豆実成寺日量川奈庵室改め蓮慶寺を創す 1565年永禄8年9月6日伊豆実成寺12日経1583年天正11年8月7日伊豆実成寺13代日証寂 1611年慶長16年11月26日伊豆実成寺14代山下阿日迦寂 1633年寛永10年2月6日伊豆実成寺15日乗1643年寛永20年4月11日伊豆実成寺17日顕寂。7月19日伊豆実成寺16日運寂。 1672年寛文12年6月13日伊豆実成寺19代日然寂。11月22日伊豆実成寺18日忠1693年元禄6年2月20日伊豆実成寺20代日・寂 1703年元禄16年7月5日伊豆実成寺21代日安寂 1705年宝永2年8月15日伊豆実成寺23日教1708年宝永5年7月1日伊豆実成寺22代日芳寂 1709年宝永6年5月14日伊豆実成寺24日行1710年宝永7年12月9日伊豆実成寺25日秀1726年享保11年5月26日伊豆実成寺26日量1747年延享4年8月11日伊豆実成寺27代日定寂 1757年宝暦7年1月12日伊豆実成寺28日通1768年明和5年3月11日伊豆実成寺29代日恩寂 1791年寛政3年1月18日小泉39代・伊豆実成寺31代日縁寂〔68歳1797年寛政9年4月24日伊豆実成寺30代日等寂 1841年天保12年7月12日伊豆実成寺32日開1859年安政6年10月19日伊豆実成寺33代日言寂 2008年平成20年10月31日伊豆実成寺44代顕恆院日包(曽根顕恆)寂 現住45田中日芳貫首(伊東市蓮慶寺より晋山)。興統法縁

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歴代住職(担任教師)

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日正寺 (札幌市)」の記事における「歴代住職(担任教師)」の解説

初 代 九州阿智広房日義大徳真弓姓) 第2代 仙台阿慈正房日順大徳西方姓) 第3志田玄奘房日素大徳藤本姓) 兼 務 天竜阿慈忠房日信大徳(辰野姓、歴代には数えない) 第4代 常義院日誉上人秋山姓、興隆阿闍梨海学) 第5代 妙恭阿慈篤房日信大徳(河邊姓) 第6代 慧真院日延上人長倉姓、法覚阿教明) 第7代 藤原広行(妙因阿闍梨) ※初代担任教師と第4代住職大慈院日仁贈上人(有元広賀)の弟子第7代住職は同贈上人孫弟子。※故人法号生振分院歴代墓所供養塔刻印参照

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歴代住職

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丈六寺」の記事における「歴代住職」の解説

開山金岡用兼1466年住持1514年示寂山口県龍文寺修行広島県洞雲寺住持転住小松島市中田町桂林寺住持長福寺開山二世:月殿昌1515年住持1534年示寂牟岐町真光寺海陽町江音寺本覚寺高照寺開山小松島市中田町桂林寺(後に真言宗に転宗)に住持三世:玉阜宗璨(1534年住持1563年示寂四世:快雲鷹賢(1534年住持1555年示寂) 五世:拈笑春賀1555年住持1582年示寂牟岐町普周寺、海陽町正福寺那賀町延命寺阿南市長生町桂国寺開山。 六世:竹庵見性1582年住持1583年示寂) 七世:角翁源麟(1583年住持1606年示寂小松島市櫛渕町法泉寺上勝町黒松寺、美馬市脇町貞真寺開山八世:丹嶺宗1606年住持1629年示寂牟岐町洞雲寺海陽町高西寺開山九世:冲室祝(1629年住持1635年示寂徳島市多家良町大匠寺開山十世:年山快寿(1635年住持1640年示寂十一世天林兼策(1640年住持1659年示寂和歌山県久昌寺開山十二世:月珊天盖(1659年住持1675年示寂東京都栄林寺開山十三世石峰文理1673年住持1699年示寂和歌山県相応寺開山十四世:天伝尊(1696年住持1735年示寂寺、大雲寺静居寺、陽松庵開山十五世:海岳湛光(1706年住持1715年示寂和歌山県窓誉寺を開山十六世:凸巌養益1714年住持1732年示寂静岡県宗源寺、普斉寺、海陽町真光寺千光寺開山十七世:卍元道密(1732年住持1751年示寂十八世:跋山運歩(1747年住持1767年示寂和歌山県高松寺山口県龍文寺、久寺に住持十九世:無外養仙1760年住持1790年示寂兵庫県宗堅寺、牟岐町昌寿寺を開山二十世:末証掾宗(1780年住持1782年示寂和歌山県恵運寺大匠寺本覚寺住持二十一世開運養天(1783年住持1796年示寂高松寺方円寺に住持二十二世:象先文喬(1793年住持1814年示寂和歌山県珊瑚寺住持二十三世百川1809年住持1848年示寂和歌山県恵運寺徳蔵寺住持二十四世:大心徹道(1846年住持1860年示寂長崎県江東寺和歌山県羅漢寺高松寺住持二十五世大鏡公円(1860年住持1871年示寂和歌山県高倉寺海陽町千光寺牟岐町普周寺に住持二十六世:天真惟仙(1871年住持1894年示寂京都府鷲尾寺、海陽町千光寺住持二十七世:月海湛瑞(1892年住持1902年示寂徳島市国府町国分寺小松島市櫛渕町景岩寺に住持二十八世洞玄明貫(1902年住持1938年示寂上勝町黒松寺に住持二十九世:喚山誾雄(1938年住持1947年示寂勝浦町明光寺住持三十世:直心知雄(1947年住持2010年示寂海陽町正福寺住持三十一世:鈎玄靖匡(1995年住持現職海陽町正福寺住持

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歴代住職

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光明寺 (横浜市南区)」の記事における「歴代住職」の解説

明誉善公 慈眼院開山 正誉舜達 吉上山中開山弘化4年1847年)ー昭和15年1940年6月24日遷化94歳)大僧正長野県生、昭和12年1937年)、本山である鎌倉光明寺105住職就任 震誉静美(昭和27年1952年2月20日遷化80歳)正僧正 苑誉静憲昭和38年2月19日58歳)正僧正 白幡憲佑(1931年2004年全日本仏教会理事長日本宗教連盟理事長横浜中学在学中外野手だった縁で、藤木幸夫神奈川県工業高校野球部捕手)と親交厚く、その縁で、渡辺元智相談相手にもなった。また、吉田家菩提寺となっていた関係で、吉田健一とも親しく、来浜の折には藤木とともに南京町歓待した。 白幡憲之1959年ー)翻訳家(『ニュルンベルク軍事裁判』やトム・クランシー翻訳知られる)。 石田一由

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観音寺 (喜多方市)」の記事における「歴代住職」の解説

当寺世の中残昌禅大和尚は、越後国及び会津一円巡って観音講中を広めたといわれる。 黙岑昌聞 竹庵永虎 中興宝聞秀 横山頓秀 中興残昌禅 兀牛秀山 大法円乗 白全円龍 霊俊祖 中興大器隆円 止山徹玄 霊 庭秀円 智山玄明 昌山俊隆 瑞明岳祖山玄道 活潭潜竜上金光 瑞峰快学 偽山僧中興龍興僧心 大英雄

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照恩寺」の記事における「歴代住職」の解説

初代蓮實本願寺派5代綽如上人曽孫。母は蓮如上人の妹如祐尼) 2代 3代祐誓 4代超空(照恩寺 寺号下賜5代超善 6代寂空 7代寂映 8代寂秀 9代法秀 10代本秀 11代廣音 12代廣詮 13朝倉 廣宣 14朝倉 明宣(海外開教備えた宗教視察のためインド豪州派遣。後に大谷探検隊随行15朝倉 正16朝倉 成宣 17朝倉 行宣(テクノ法要発案勤修

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妙本寺」の記事における「歴代住職」の解説

日蓮開山日朗2世日輪3世日山4世日叡5世日行(6世) 上行院(妙音坊)と号す。 日寿(7世) 日調8世日純(9世) 東眼院(東照院)と号す。 日陽(10世) 明応4年1495年)~天文19年1550年2月15日中道院号し天文18年1549年10世となる。 日現11世)

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検校庵」の記事における「歴代住職」の解説

曹巌愚溪(1855年安政2年〉没)開山秋田県蚶満寺住職 香嶽秀老(1921年大正10年〉没、92歳)愚溪の弟子愛知の産。禅山祖門(糸魚川の産)とともに托鉢行をしながらここに来て、庵を建立。 全巌祖孝(1929年昭和4年7月15日没)新潟県出身、秀老の弟子叔父大円黙乗飯山大聖寺24世)、金毛全獅(浜松普済寺3世)の兄弟和尚がおり、その関係で宗門入った貫道恵明(1947年昭和22年12月21日没)糸魚川市の産。検校庵修行順法智孝(1970年昭和45年7月8日没、81歳)新潟県出身、祖孝の弟子16歳検校庵入り1935年昭和10年)より住職。 得全黙乗1973年昭和48年3月21日没、64歳)祖孝の姪の子1965年昭和40年〉より住職。 全覚智道(2009年平成21年7月29日没、82歳)長野県茅野市出身、智孝の弟子。 智乗黙全(2012年平成24年4月21日没、78歳新潟県糸魚川出身黙乗弟子直心恵道(検校庵9世、現住長野県出身、智道の弟子。 ※尼寺は、常に数人尼僧互いに弟子育てながら生活をしていたことが分かる

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大長寺 (鎌倉市)」の記事における「歴代住職」の解説

初代 感誉存貞 二代 雲誉円也 三代 源誉存応 四代 暁誉源栄 五代 不明 六代 永威 - 正保元年境内心蓮社開基する。相模国風土記稿の頃では心蓮社蹟と記述あり。本尊阿弥陀像は大長寺移された。

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専念寺 (神戸市東灘区)」の記事における「歴代住職」の解説

四代目眞了の時、継嗣がなかったため、豊前国京都郡長木喜平治の家人が眞休として五代目となり、爾後その子孫住職継いでいる。 眞了(貞享3年入寂) 眞了(享保8年入寂) 眞了(延享4年入寂) 眞了(安永2年入寂) 眞休(寛政10年入寂) 眞了(文政4年入寂) 隆海(万延元年入寂) 智等(明治20年入寂) 智晃(明治21年入寂俊夫

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浄願寺 (七尾市)」の記事における「歴代住職」の解説

乘眞(開基) – 羽咋郡赤崎村現石川県羽咋郡志賀町)の出身天正15年12月3日1588年1月)、入寂81歳)。 祐念(2世) – 寛文8年1668年10月25日入寂82歳)。坊守は尼妙岸。寛文12年12月26日入寂52歳)。 道祐(3世) – 延宝5年1677年4月8日入寂65歳)。坊守は尼妙榮(『当山住職坊守法名』には「道祐ノ母ナリ」と注記)。延宝5年4月2日入寂85歳)。 慶祐(4世) – 天和2年1682年10月7日入寂年齢不明)。 祐海5世) – 貞享元年1684年1月4日入寂45歳)。 智道(6世) – 貞享2年1685年9月20日入寂17歳)。 了賢(7世) – 元禄16年1703年3月2日入寂36歳)。 浄雲8世) – 享保17年1732年11月8日入寂50歳)。坊守は尼真順。享保6年1721年5月4日入寂年齢不明)。 玄秀(9世) – 享保7年1722年10月6日入寂。 玄継(10世) – 宝暦10年12月16日1761年1月)、入寂73歳)。 玄乘(11世) – 明和2年1765年9月22日入寂62歳)。尼妙乘(坊守か)、明和6年1769年8月1日入寂年齢不明)。 了廓(12世) – 天明6年1786年1月26日入寂年齢不明)。 大泉13世) – 天保元年1830年9月20日入寂(82歳)。坊守は尼妙泉。文政8年1825年5月29日入寂年齢不明)。 東泉14世) – 弘化元年12月8日1845年1月)、入寂64歳)。坊守は尼貞含。嘉永4年1851年10月20日入寂65歳)。 林泉15世) – 安政3年1856年12月3日入寂50歳)。坊守は尼妙信。明治13年1880年10月13日入寂年齢不明)。 廓然16世) – 明治27年1894年7月6日入寂年齢不明)。 東惠(17世) – 明治37年1904年7月7日入寂39歳)。玅軀 惠18世。俗名: 竹原惠) – 昭和38年1963年3月21日入寂院号寳樹院)。坊守は釋妙軀禪尼(釈妙軀禅尼)。昭和46年1971年3月1日入寂院号は德光院)。 神洞19世。俗名: 竹原神洞) – 昭和41年1966年9月9日入寂院号は速入院)。坊守は釋玉林法尼(釈玉林法尼)。昭和53年1978年2月13日入寂院号榮昌院)。 惠然(20世。俗名: 竹原敏丸) 了然21世。俗名: 竹原了珠) – 現住

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西福寺 (福山市新市町)」の記事における「歴代住職」の解説

初代7代毛利家寺院合併により第8代目から山名姓となる。 初代 祐良 毛利元弘四男就勝の子である祐良が、1523年8月父就勝自害により、元綱元就嫌悪危惧し出家し金丸村(現:新市町金丸)に、西福寺前身寺である大江山実相寺建立する1571年没。 2代 祐実 幼名は徳麿。母は渡辺太左衛門尉時の末娘1558年没。 3代 祐秀 幼名式部卿祐実の弟。兄の早世により法燈継承1571年没。 4代 祐光 1605年没。 5代 祐元 1594年没。 6代 祐和 祐元の弟。1617年没。 7代 祐清 幼名民部卿山名祐念を養子迎える。1641年没。 8代 山名祐念 幼名太郎丸山名持豊末裔である但馬守の孫であり、宮内卿の子関ヶ原の合戦毛利輝元随従して敗北した後、備後国御調郡大多城に没落する。後、剃髪して一寺建立し、功円山報徳西福寺称す1626年芦品郡木野山村権現(現:府中市木野山町角目)へ引越す1635年、祐念は実相寺第7代祐清養子となる。祐清死後1648年実相寺西福寺の両寺協議により、寺号西福寺とし、苗字山名氏家紋等は毛利氏準ずることとした。これにより、当山西福寺吸収合併し、西福寺改称した。祐念1672年没。 9代 山名祐正 祐念の長男1718年没。 10代 山名 祐正の長男1705年より本堂再建着手1707年完成11代 山名祐閑 祐長男1732年没。 12代 山祐光 祐閑の長男1744年没。 13代 山名祐会 祐光次男1772年没。 14代 山名祐泰 祐会の長男1772年18歳夭折15代 山晴 祐会の次男。祐泰の弟。1808年没。 16代 山名祐甫 常(現:新市町常光明寺より来住職。1837年没。 17代 山祐海 晴の長男。祐甫の義弟1879年没。 18代 山名千界 生没年不明1875年生存記録あり。 19.20.21代 22代 山名祐諦 祐海長男1924年没。 23代 山祐心 祐海次男。祐諦の弟。1932年没。 24代 山名哲昭 祐心長男1886年生まれ1958年没。 25代 山名哲晋 祐心次男。哲昭の弟。1892年生まれ1960年没。 26代 山名浩明 1933年広島県呉市音戸町専教寺三男として生まれる。山名哲晋の長女との婚姻により西福寺養子に入る。1958年から2003年まで住職2004年没。 第27代目 山名孝彰 1960年山名浩明の長男として生まれる。1984年より副住職2003年より住職現職)。坊守寂静寺13住職長女

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明恩寺 (大田市)」の記事における「歴代住職」の解説

禅宗 大家 仏心寺創立年度など不詳大森 石金明恩寺創立年度など不詳1620年山内十郎入道養安(のちの釋養安)が上記2寺院併合し佛護明恩寺(現・明恩寺)となる。 開祖 釋養安(1628年没) 第2世 釋教專(没年不詳1600年代没) 第3世 釋淨恩(1694年没) 第4世 釋能傳(1718年没) 第5世 釋興善 律師1732年没)また漸、春雄、また號風山、一號、又號松雲明恩寺 中興 龍吟律師師友 本願寺 能化 知空師事 数多著述書画をのこす。 第6世 釋空鏡(1758年没)補僧都、従権大僧都 第7世 釋興端(1784年没) 第8世 真實院釋興範(1823年没)本堂庫裏焼失再建 第9世 釋興教(1839年没) 第10世 釋興忍(1872年没) 第11世 釋興隆1916年没)浜田 楓川教校(楓川仏教中学校開設国中勧進、募財で竣工)、楓川教校副監に就任 温泉津横道信光庵創設関し明恩寺より内仏移設財政支援し、寄留地とする。 第12世 賢正院釋晋郷勧学1945年没浄土真宗本願寺派 勧学旧制第三高等学校教授安居本講主管衆議寮員 本堂庫裏 全焼半焼1893年本堂庫裏再建1895年梵鐘喚鐘供出不在寺院強制供出、名鐘滅失) 第13慈光院釋邦臣(1998年没)京都大学 名誉教授浄土真宗本願寺派教学審議会委員 喚鐘新造 農地解放により不在地主田地その他、地目農地登録の土地全て失う。 山内雅子前坊僧侶)元サロン・デ・ボザール同人1990年第14回サロン・デ・ボザール会員優秀賞1992年第20回記念サロン・デ・ボザール展秀作保存特選賞、1993年ボサロン・デ・ボザール会員入選本堂解体庫裏改修経蔵改修、他 第14山内喬興(現住職)

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薬王寺 (青梅市)」の記事における「歴代住職」の解説

22世・光史(1915(大正3)年7月17日生~2005平成17)年4月23日遷化) - 社会福祉法人道会今井保育園初代園長保護司勲五等双光旭日章叙勲追贈正六位

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要法寺」の記事における「歴代住職」の解説

日号阿闍梨号・院号御遷化年月日享年備考宗祖 日蓮 弘安5年10月13日1282年61歳 武蔵池上にて御入滅 2祖 日興 白蓮阿闍梨 元弘3年2月7日1333年南朝正慶2年2月7日1333年北朝 88上条大石寺建立北山本門寺建立 3祖 日目 新田阿闍梨 元弘3年11月15日1333年南朝正慶2年11月15日1333年北朝 74歳 美濃垂井にて御遷化 4祖 日尊 大夫阿闍梨 興国6年5月8日1345年南朝康永4年5月8日1345年北朝 81本山御開山36箇寺建立 5祖 日尹上行院5代 葦名阿闍梨 文中2年4月27日1373年南朝應安6年4月27日1373年北朝 岩代妙蔵寺開基日大住本寺5代 畠山阿闍梨 正平24年2月12日1369年南朝應安2年2月12日1369年北朝 61歳 山城住本寺出雲妙傳寺開山出雲多寶寺中林寺本壽寺妙福寺開基 6祖 日圓上行院6代 宰相阿闍梨是妙院 正平9年11月26日1354年南朝文和3年11月26日1354年北朝 岩代蓮昌寺開山 日源住本寺6代 本是院 應永9年6月10日1402年岩代東榮寺第3岩代妙泉寺開基 7祖 日從上行院7代 近江阿闍梨 正平6年2月4日1351年南朝観應2年12月4日1351年北朝 日元住本寺7代 壽量院 應永27年7月18日1420年岩代東榮寺開山、第4世 8祖 日得上行院8代 京極阿闍梨 建徳元年11月13日1370年南朝應安3年11月13日1370年北朝 日長住本寺8代 法性院 應永28年3月21日1421年山城法性院開基 9祖 日嚴上行院9代 阿闍梨 正平22年4月18日1367年南朝貞治6年4月18日1367年北朝 山城實成院開基岩代東榮寺2世 日襌住本寺9代 本源寶徳2年1月12日1450年出雲妙傳寺5世 10祖 日遵上行院10代 河内阿闍梨 天文4年8月7日1535年日廣住本寺10代 蓮乗阿闍梨 長亨元年1月28日1487年11日法住本寺11堀川阿闍梨 永正13年1月28日1516年75歳 山城本経寺開基 12日在住本寺12西京阿闍梨 弘治元年10月25日1555年80天文法華の乱上行院・住本寺合併 13日辰天正4年12月15日1576年69歳 本山中興の祖山城・妙種院開基 14祖 日賙 実蔵院 慶長13年2月16日1608年63歳 山城慧光院開基 15祖 日性 円智院 慶長19年2月26日1614年61歳 山城本地河内・本性寺開基 16祖 日恩 大雄院 寛永6年11月23日1629年78歳 河内住本寺開基 17祖 日堯 実成院 元和6年6月26日1620年56歳 摂津本成寺開基摂津蓮興寺2世 18祖 日陽 本寿院 寛永15年6月9日1638年67歳 出雲妙傳寺1319日成 智見寛永17年6月21日1640年71歳 20祖 日瑤 慧光院 寛永16年12月18日1639年60歳 山城慧光院2世 21祖 日體 真如院 慶安4年11月14日1651年67山城眞如院開基山城本経寺1122日祐 本地寛文2年12月7日1662年60歳 山城本地第323祖 日詮 妙種院 延寶6年8月25日1678年67歳 24祖 日饒 知三阿闍梨 貞亨4年11月21日1687年64歳 山城・妙種院第4世 25祖 日舒 随進院 正徳2年6月26日1712年67歳 岩代本法寺1126祖 日眷 本住院 享保12年3月25日1727年27祖 日奠 出雲阿闍梨 寛延3年6月22日1750年67歳 山城本地院第7世 28祖 日全 豊前阿闍梨 寶歴12年8月9日1762年57歳 山城本地第9世 29日慈 昌院 安永3年8月23日1774年62摂津本性寺第8世山城本地院第1130日良 和泉阿闍梨 寛政3年6月19日1791年66摂津三国正福寺10山城本地院第13山城・妙種院第1331祖 日住 本行阿闍梨 享和2年3月18日1802年67歳 山城本行院第7世摂津本性寺1132日立 安住阿闍梨 文化8年7月22日1811年60歳 丹後常徳寺16山城本地院第1833祖 日勝 摂津阿闍梨 文化7年5月17日1810年山城・妙種院第1534祖 日啁 肥後阿闍梨 弘化2年5月1日1845年75歳 山城眞如院第3摂津蓮興寺1935祖 日庸 本蓮阿闍梨 天保6年12月3日1835年50山城本行院17美濃大雲寺15出雲妙蔵寺1436祖 日惠 立本阿闍梨 弘化3年5月12日1846年山城・妙種院第16摂津蓮興寺2037祖 日愿 原河阿闍梨 安政元年9月11日1854年山城眞如院5世摂津蓮興寺2138日生 朝山阿闍梨 慶應3年3月25日1867年51摂津三国正福寺18出雲慈眼寺1839日進行阿 明治21年7月26日1888年73歳 丹後常徳寺2240日貫 顕本阿闍梨 明治21年4月21日1888年68歳 釈氏山城・顕壽院第13丹後常徳寺23岩代本法寺2741祖 日周 安祥院 明治17年3月10日1884年57歳 葦名氏伊豆柳瀬實成寺35代山城本行院2642日守 円興明治39年4月8日1906年65歳 驥尾43日珠 智見大正8年10月1日1919年76坂本氏出雲妙傳寺3044日海 妙高院 明治41年8月21日1908年79中田氏岩見法蔵寺30山城・妙種院第2245日濟 霊泉院 大正13年10月16日1924年61歳 瀬島羽前慧光院1世山城本行院30出雲妙傳寺3146日正 霊泉阿闍梨 昭和17年3月3日1942年76竹部羽前慧光院2世山城本行院3547世(加歴) 日志 智傳院 明治15年7月25日1882年50玉野48世(加歴) 日言 宣承院 明治41年3月3日1908年61歳 河瀬氏 49世(加歴) 日義 山城阿闍梨 明治43年1月23日1910年61歳 近藤氏 47祖 日城 閻浮阿闍梨 昭和31年8月10日1956年88足立氏岩見法蔵寺31山城・顕壽院第2048祖 日誨 勇圓院 昭和42年4月12日1967年87歳 高橋氏摂津玉出正福寺2549祖 日認 智正阿 昭和63年2月29日1988年78歳 原氏丹後常徳寺29丹後妙受寺2350日運 三承阿闍梨 昭和60年11月7日1985年79高見出雲通園寺第14出雲慈眼寺2351日有乗阿 嘉儀52日遠 如泉阿闍梨 丹治氏岩代佛眼寺より晋山、現貫首猊下

※この「歴代住職」の解説は、「要法寺」の解説の一部です。
「歴代住職」を含む「要法寺」の記事については、「要法寺」の概要を参照ください。

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