慈光院とは? わかりやすく解説

じこういん 【慈光院】

奈良県大和郡山市にある臨済宗大徳寺派の寺。円通山。片桐石州(且元の甥。大和小泉藩主知恩院普請奉行)が亡父貞隆の菩提のため大徳寺の玉舟宗蟠を開山迎えて一六六三(寛文三)年開創茶道極めて「剣は柳生石州」と評され石州が、自ら監督して建造した茶室と書院(重文)・庭園が有名。彼は晩年当寺隠棲

慈光院

読み方:ジコウイン(jikouin)

宗派 浄土宗

所在 静岡県沼津市

本尊 阿弥陀如来釈迦如来


慈光院

読み方:ジコウイン(jikouin)

別名 わびの寺

宗派 臨済宗大徳寺派

所在 奈良県大和郡山市

本尊 釈迦如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

慈光院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 02:05 UTC 版)

慈光院(じこういん)は、奈良県大和郡山市小泉町[1]にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。


注釈

  1. ^ 逆勝手とは、茶室の炉の切り方の一種で、亭主から見て左側に客が座るように炉を切るもの
  2. ^ 二畳+台目畳(だいめだたみ、長さが通常の畳の4分の3の畳)の広さ

出典

  1. ^ 大和国添下郡小泉村、片桐村小泉(のち生駒郡片桐町小泉)


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慈光院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/04 13:36 UTC 版)

慈光院 (蜂須賀家政正室)」の記事における「慈光院」の解説

慶長11年3月13日1606年4月20日))は、阿波徳島藩祖・蜂須賀家政正室。父は尾張小折城主・生駒家長。母は神野民部少輔の娘・椿岩妙寿。兄弟には生駒善長生駒善長などがいる。織田信長側室生駒吉乃叔母にあたる。名はヒメ(姫)。

※この「慈光院」の解説は、「慈光院 (蜂須賀家政正室)」の解説の一部です。
「慈光院」を含む「慈光院 (蜂須賀家政正室)」の記事については、「慈光院 (蜂須賀家政正室)」の概要を参照ください。

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