慈光寺有仲とは? わかりやすく解説

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慈光寺有仲

読み方じこうじ ありなか

子爵慈光寺家仲の五男。姓源。土佐光文学び画を能くした。号五堂一正三位太宰大弐安政勤王八十八廷人の一人明治31年(1898)歿、71才。

慈光寺有仲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 07:51 UTC 版)

慈光寺有仲(じこうじ ありなか、文政11年1月1日1828年2月15日) - 明治31年(1898年10月6日[1])は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿華族子爵)。

安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、廷臣八十八卿列参事件に参加した。明治維新後は賀茂御祖神社宮司を務め、子爵に列する。

官歴

系譜

  • 父:慈光寺実仲
  • 養父(実兄):慈光寺家仲
  • 妻:篤子(杉生慶映の娘)
  • 子:酒井仲誠(酒井辰子の入婿)
  • 子:慈光寺仲敏
  • 養子(実弟):慈光寺右仲
  • 娘:濱(由良義寛夫人→杉生慶巌夫人)
  • 娘:晨子(大久保忠順夫人)

脚注

  1. ^ 『官報』第4586号、1898年10月11日。
  2. ^ 『官報』第308号「叙任」1884年7月9日。
  3. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
  4. ^ 『官報』第4200号「叙任及辞令」1897年7月3日。

出典

  • 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。 
  • 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。 
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
慈光寺家初代
1884年 - 1898年
次代
慈光寺恭仲


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