土佐光文とは? わかりやすく解説

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土佐光文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 08:25 UTC 版)

土佐光文像(土佐光武筆、京都国立博物館蔵)

土佐 光文(とさ みつぶみ/みつあや、文化9年3月25日1812年5月6日〉 - 1879年明治12年〉11月9日)は、日本江戸時代後期から明治初期にかけて活動した土佐派絵師日本画家。土佐派分家の2代目土佐光孚の次男で、後に本家に養子入りし、土佐派第22代を継いだ。幼名は延丸、は子炳、号は韓水。名は「みつあや」ともよむ。

略伝

京都出身。兄に分家を継いだ土佐光清がいる。宗家の土佐光禄に後継がいなかったため、嗣子となり土佐本家を継ぎ、禁裏所預となった。文政11年10月13日1828年11月19日)数え17歳で従六位上肥後介天保6年8月23日1835年10月14日)24歳で正六位下左近衛将監、同13年1月29日1842年3月10日)31歳で従五位下嘉永2年閏4月9日(1849年5月30日)38歳で従五位上安政3年2月5日1856年3月11日)45歳で正五位下慶応2年8月10日1866年9月18日)55歳で従四位下備前守に叙される[1]

安政度御所障壁画制作では、画工頭を務めた。絵師としては東山春秋画会に参加し、解散後は中島来章塩川文麟らと如雲社を創設し、明治の京都画壇の架け橋となった。明治維新後も、明治4年(1872年)の京都博覧会で賞状を受けるなど活動を続けている。明治12年(1879)死去、享年68。墓所は知恩寺。跡は息子の土佐光章が継いだ。弟子に川辺御楯川崎千虎柴田真哉など。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 文化財指定 備考
松島図襖 麻本墨画 襖2面 205.0x133.0(各) 宮内庁京都事務所 1855年(安政2年) 清涼殿鬼の間北面所在[2]
若ノ浦図襖 麻本墨画 襖2面 205.0x133.0(各) 宮内庁京都事務所 1855年(安政2年) 清涼殿台盤所南面所在で、松島図襖の裏面[2]
青葉山図襖 絹本著色 襖2面 161.0x118.5(各) 宮内庁京都事務所 1855年(安政2年) 清涼殿台盤所北面所在[2]
宮城野図襖 絹本著色 襖2面 161.0x118.5(各) 宮内庁京都事務所 1855年(安政2年) 清涼殿朝餉の間南面所在で、青葉山図襖の裏面[2]
天橋立図襖 絹本著色 襖2面 161.0x82.6(各) 宮内庁京都事務所 1855年(安政2年) 清涼殿御手水の間東側所在で、土佐光清筆「難波江図」の裏面[2]
勢田橋図襖 麻本墨画 襖2面 205.0x133.0(各) 宮内庁京都事務所 1855年(安政2年) 清涼殿御手水の間北側所在[2]
竹ニ虎図 紙本著色総金雲取金砂子金泥引 襖20面 188.5x94.0(各) 宮内庁京都事務所 1867年(慶応3年)[3]
花卉図・遊漁図・水草ニ蛍図・水草ニ蟹図 絹本著色金砂子金泥引 御袋棚小襖16面 79.2x34.5(各) 宮内庁京都事務所 1867年(慶応3年) 竹ニ虎図と共に御常御殿御寝の間所在。安政度では原在照筆の障壁画だったが、この部屋で孝明天皇が崩御したため、模様替えのため描き改められた[3]

脚注

  1. ^ 松尾芳樹 「近世土佐派記録集(ニ)」『京都市立芸術大学芸術資料館年報』第4号、1994年8月25日。
  2. ^ a b c d e f 『京都御所造営をゆかりの至宝 ー甦る宮廷文化の美ー』第121-126図。
  3. ^ a b 『京都御所障壁画 ─御常御殿と御学問所─』第9,10図。

参考文献

  • 京都国立博物館 宮内庁京都事務所 京都新聞社編集 『京都御所障壁画 ─御常御殿と御学問所─』 京都新聞社、2007年1月6日
  • 京都国立博物館編集 『特別展 御即位二十年記念 京都御所造営をゆかりの至宝 ー甦る宮廷文化の美ー』 京都新聞社 NHK NHKプラネット、2009年1月10日

関連項目



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