大長寺 (鎌倉市)とは? わかりやすく解説

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大長寺 (鎌倉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 05:53 UTC 版)

大長寺


本堂

所在地 神奈川県鎌倉市岩瀬1464
位置 北緯35度21分21.9秒 東経139度32分48秒 / 北緯35.356083度 東経139.54667度 / 35.356083; 139.54667座標: 北緯35度21分21.9秒 東経139度32分48秒 / 北緯35.356083度 東経139.54667度 / 35.356083; 139.54667
山号 亀鏡山[1]
院号 護國院[2]
宗派 浄土宗[1]
本尊 阿弥陀如来
創建年 1548年天文17年)[2]
開山 感誉存貞[2]
開基 北条綱成[3]
中興 暁誉源栄[4]
正式名 龜鏡山護國院大長寺
別称 大頂寺(法号「大頂院」から)
法人番号 3021005001929
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大長寺(だいちょうじ)は、神奈川県鎌倉市岩瀬にある浄土宗の寺院。山号は亀鏡山。本尊は阿弥陀如来。創建当初は「大寺」と名乗っていたが、後年「大長寺」に名称を改めた。

[5]

歴史

この寺は1548年天文17年)、時の玉縄城城主の北条氏繁が、母の供養のために北条綱成開基により建立された。なお開山は綱成が兼ねてから尊崇していた感誉存貞が勤めた。その後、代々後北条氏の崇拝を集め、北条氏ゆかりの寺宝も多い。

豊臣秀吉による小田原征伐においては、徳川家康の名を受け、時の住職暁誉源栄植木村龍宝寺住職、良達とともに玉縄城主北条氏勝を説得し、開城につなげた。

暁誉源栄と家康は古くから面識があり、その後も度々交流した。寺名を現在の「大長寺」に変更したのはこのころの事で、一説によると山号が「亀鏡山」であることを聞いた家康が、亀は大長寿なので、大長寺と名乗るよう寺名を変えさせたとの事である。

歴代住職

境内

  • 山門 - 銅葺き
  • 本堂 - 1882年(明治15年)に火災で全焼。1911年(明治44年)に再建された[7]
  • 方丈 - 大頂院殿七曲殿の住まいを移した物と伝わる。
  • イチョウの樹 - 本堂の前にあり。徳川家康手植えの物と伝わる。
  • 鐘楼 - 文政3年(1820年)9月、西村和泉守藤原政時の銘が刻まれた梵鐘がかかる[7]
  • 吉祥水・梅の井 - いずれも存貞が祈祷の末、掘り当てた井戸と伝わる。現存[8]
  • 後北条一族の墓 - 裏山の墓地に後北条一族の墓と伝わる石塔が五基存在する。詳細は下記の通り。
    • 大頂院殿(北条綱成正室)墓 - 石塔には「大頂院光譽耀雲大姉 永禄元(1558年)稔戊午九月十日」と彫られている。
    • 北条繁広墓 - 石塔には表に「泰清院殿恵雲常智大居士 慶長十七(1612年)子天六月八日」、裏に「北條常陸介氏繁男、新左衛門繁廣」と彫られている。
    • 北条氏繁室(七曲殿)墓 - 五輪塔
    • 不明 - 石塔には「水月妙清大姉」と彫られているが、誰のものかは不明。
    • 不明 - 石塔には文字は彫られておらず、誰のものかは不明。

本尊

寺宝

[12]

脚注

注釈

  1. ^ 『新編鎌倉志』は開山としている[1]
  2. ^ 浄土宗系譜では源栄を大長寺2代目住職としており、鷲尾(1903年)もその説を採用している。
  3. ^ 現存、巨勢は平安時代の画家だが鎌倉春秋社(2001年)によると、鎌倉時代の作としている。
  4. ^ 養勝院殿はかつては、北条為昌の妻と考えられてきたが、現在では北条綱成の実母と考えられている(ただし、綱成の父親については諸説あるため、誰の妻かは確定できない)[9]
  5. ^ 仙洞御所の項も参照。上皇・法皇の事を指すと思われるが、誰にあたるかは不明

出典

  1. ^ a b c 新編鎌倉志 1915, p. 79.
  2. ^ a b c 間宮(1884年) p.5
  3. ^ 間宮(1884年) p.6
  4. ^ 間宮(1884年) p.8
  5. ^ 本項目のうち、特に注記の無い物は間宮(1884年)の記載に拠った。
  6. ^ 間宮(1884年) p.12
  7. ^ a b c 鎌倉シチズンネット
  8. ^ 鎌倉春秋社(2001年)
  9. ^ 黒田基樹『戦国北条家一族事典』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-289-6 P142-143・147-148.
  10. ^ 黒田(2007)
  11. ^ 間宮(1884年) p.9
  12. ^ 境内・本尊・寺宝の項は間宮(1884年)の記載による。

参考文献

関連項目




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