赤十字での活動
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近衞の誕生日は赤十字の祖であるアンリ・デュナンの誕生日国際赤十字デー。また、ロンドン留学中に偶然参加した国際赤十字百周年の記念パレードや、帰国途中に訪れた中近東他アフリカ諸国での経験がきっかけとなり、近衞は赤十字事業への関心を強め、1964年(昭和39年)に日本赤十字社に入社以来、約50年にわたり赤十字一筋で国内外の事業に従事。 1970年(昭和45年)バングラデシュ(当時の東パキスタン)救援活動、ナイジェリア戦後復興支援、グアテマラ地震救援、フィリピン火山噴火救援、メキシコ地震救援、旧ユーゴスラビア紛争救援及び、トルコ地震救援、スマトラ沖地震・津波救援など数多くの災害救援、また赤十字が行なう国交がない国への人道的な戦後処理事業等もリーダーシップを発揮して行なった。ジュネーブの国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)ではアジア太平洋地域災害担当部長として勤務。また、血液事業の分野では、国内の事業展開のみならず、タイ赤十字社と共同でアジア地域赤十字・赤新月血液事業シンポジウムを開催するなど、他国赤十字との協力関係を築いた。 1991年(平成3年)同社副社長、(兼)学校法人日本赤十字学園理事長に就任。1995年 - 2003年(平成7年 - 15年)の間、国際赤十字常置委員として赤十字国際委員会(ICRC)や各国赤十字社とともに世界の赤十字活動においてリーダーシップを発揮した。引き続き国内外の災害救護活動、医療事業、血液事業、社会福祉事業、青少年赤十字活動、救急法等講習普及事業を進める他、看護師の養成のための赤十字看護大学の設立や修士課程・博士課程の創設により看護教育の向上に積極的に関与した。2005年(平成17年)4月より社長に就任。内閣総理大臣を囲む各関係大臣との中央防災会議や地雷廃絶日本キャンペーンなどの委員として、国内おける数多くの団体に関わり、人道支援活動の普及に貢献。同年11月、187か国が加盟しているIFRCの副会長に選出され就任(兼務)。 2009年(平成21年)11月にアジア地域出身者で初の国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)会長に就任(任期は4年)。 IFRC会長就任2年目の2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生し、3月13日には自ら被災各地に出向いた。全国から集まった日本赤十字社救護班ら(約7000人)の活動がマスメディアを通じて各国赤十字・赤新月社に発信され、およそ100か国の赤十字・赤新月社から日本赤十字社の活動(東日本被災地の救援並びに復興支援)が支援された。
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赤十字での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:42 UTC 版)
近衞の誕生日は赤十字の祖であるアンリ・デュナンの誕生日国際赤十字デー。また、ロンドン留学中に偶然参加した国際赤十字百周年の記念パレードや、帰国途中に訪れた中近東他アフリカ諸国での経験がきっかけとなり、近衞は赤十字事業への関心を強め、1964年(昭和39年)に日本赤十字社に入社以来、約50年にわたり赤十字一筋で国内外の事業に従事。 1970年(昭和45年)バングラデシュ(当時の東パキスタン)救援活動、ナイジェリア戦後復興支援、グアテマラ地震救援、フィリピン火山噴火救援、メキシコ地震救援、旧ユーゴスラビア紛争救援及び、トルコ地震救援、スマトラ沖地震・津波救援など数多くの災害救援、また赤十字が行なう国交がない国への人道的な戦後処理事業等もリーダーシップを発揮して行なった。ジュネーブの国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)ではアジア太平洋地域災害担当部長として勤務。また、血液事業の分野では、国内の事業展開のみならず、タイ赤十字社と共同でアジア地域赤十字・赤新月血液事業シンポジウムを開催するなど、他国赤十字との協力関係を築いた。 1991年(平成3年)同社副社長、(兼)学校法人日本赤十字学園理事長に就任。1995年 - 2003年(平成7年 - 15年)の間、国際赤十字常置委員として赤十字国際委員会(ICRC)や各国赤十字社とともに世界の赤十字活動においてリーダーシップを発揮した。引き続き国内外の災害救護活動、医療事業、血液事業、社会福祉事業、青少年赤十字活動、救急法等講習普及事業を進める他、看護師の養成のための赤十字看護大学の設立や修士課程・博士課程の創設により看護教育の向上に積極的に関与した。2005年(平成17年)4月より社長に就任。内閣総理大臣を囲む各関係大臣との中央防災会議や地雷廃絶日本キャンペーンなどの委員として、国内おける数多くの団体に関わり、人道支援活動の普及に貢献。同年11月、187か国が加盟しているIFRCの副会長に選出され就任(兼務)。 2009年(平成21年)11月にアジア地域出身者で初の国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)会長に就任(任期は4年)。 IFRC会長就任2年目の2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生し、3月13日には自ら被災各地に出向いた。全国から集まった日本赤十字社救護班ら(約7000人)の活動がマスメディアを通じて各国赤十字・赤新月社に発信され、およそ100か国の赤十字・赤新月社から日本赤十字社の活動(東日本被災地の救援並びに復興支援)が支援された。
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赤十字での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/05 23:32 UTC 版)
「ノーマン・デイヴィス (外交官)」の記事における「赤十字での活動」の解説
1920年、アメリカ赤十字社の中央委員会は、デイヴィスを顧問役員として迎え入れた。1938年、フランクリン・ルーズベルト大統領は、デイヴィスをケアリー・トラヴァーズ・グレイソンの後任としてアメリカ赤十字社会長に任命した。また同年、デイヴィスを国際赤十字でも会長に就任した。デイヴィスはアメリカ赤十字社と国際赤十字において、死の直前まで指導的役割を担い続けた。 第二次世界大戦が開戦し、アメリカが参戦すると、赤十字社に参加するボランティアの数は飛躍的に増加していった。デイヴィスは戦争に巻き込まれた民間人の犠牲者や戦争捕虜に対する、包括的な救援プログラムを開始した。デイヴィスは赤十字社において、献血などの新たな医療支援活動を導入した。 1944年7月2日、デイヴィスは脳出血により死去した。
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