災害後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 14:08 UTC 版)
奥越豪雨により西谷村の中心部が壊滅的な被害を受け、村人のほとんどは大野市内の仮設住宅へ避難した。その後、再建のニュータウン構想が画策され、再び架けられた橋もあったが、1966年7月に真名川ダムの建設が決定し、全住民が集団離村することが決定。西谷村は1970年6月30日限りで廃村となり、翌日全村が大野市に編入された。 現在は真名川ダムによって出来た人工湖、麻那姫湖のほとりに「ふるさとの碑」、「萬霊之碑」などと刻まれた離村記念碑が建てられている。麻那姫湖を周回する国道157号線には水没した集落名を示す道路標示が立てられている。旧西谷村中島地区は麻那姫湖青少年旅行村というキャンプ場として整備されている。
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