西谷村
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西谷村
- 西谷村 (神奈川県) - 神奈川県 都筑郡 に所在。現・横浜市(保土ケ谷区)。(にしやむら)
- 西谷村 (新潟県) - 新潟県 古志郡 に所在。現・長岡市。(にしだにむら)
- 西谷村 (石川県) - 石川県 江沼郡 に所在。現・加賀市。(にしたにむら)
- 西谷村 (福井県) - 福井県 大野郡 に所在。現・大野市。(にしたにむら)
- 西谷村 (兵庫県川辺郡) - 兵庫県 川辺郡 に所在。現・宝塚市。(にしたにそん)
- 西谷村 (兵庫県宍粟郡) - 兵庫県 宍粟郡 に所在。現・宍粟市。(にしだにむら)
- 西谷村 (兵庫県養父郡) - 兵庫県 養父郡 に所在。現・養父市。(にしだにむら)
- 西谷村 (福岡県) - 福岡県 企救郡 に所在。現・北九州市(小倉南区)。(にしたにむら)
- 西谷村 (大分県) - 大分県 下毛郡 に所在。現・中津市。(にしだにむら)
西谷村
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「日進町 (さいたま市)」の記事における「西谷村」の解説
江戸期は武蔵国足立郡大谷領に属する西谷村であった。さらに古くは高鼻荘に属していたと云われている。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では172石余(田67石余、畑104石余)、『元禄郷帳』および『天保郷帳』では167石余であった。助郷は中山道大宮宿に出役していた。化政期の戸数は20軒であった。 初めは幕府領、1624年(寛永元年)より知行は旗本柴田氏。なお、検地は1661年(寛文元年)に実施。 1698年(元禄11年)より再び幕府領、1702年(元禄15年)より知行は旗本小川氏。 1828年(文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属していた。 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕府領(代官・大竹左馬太郎支配所)、および旗本小川源之進の知行であった。 1868年(慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。 1869年(明治2年)1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置。 9月29日 - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。 12月2日 - この日までに旗本領が上知され、浦和県の管轄となる(府藩県三治制も参照)。 1871年(明治4年)11月13日 - 埼玉県の管轄となる。 1879年(明治12年)3月17日 - 北足立郡に属す。 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大成村・櫛引村・上加村・下加村・西谷村・上内野村・西内野村が合併し、日進村が成立。日進村の大字西谷となる。 1940年(昭和15年)11月3日 - 大宮町・三橋村・日進村・宮原村・大砂土村が合併し、大宮市が発足。同市の大字となる。 1951年(昭和26年)4月1日 - 大宮市立日進北小学校(現・さいたま市立日進北小学校)が開設される。 1955年(昭和30年) - 大宮西谷県営住宅が建設され、翌年竣工する。 1958年(昭和33年)7月10日 - 町名地番変更により、大字西谷の一部から日進町三丁目が成立。 (以降は下記の日進町の成立節を参照)
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