西谷村 (福岡県)とは? わかりやすく解説

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西谷村 (福岡県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/26 21:07 UTC 版)

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にしたにむら
西谷村
廃止日 1941年(昭和16年)4月1日
廃止理由 編入合併
西谷村中谷村小倉市
現在の自治体 北九州市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
企救郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 小倉市、八幡市、企救郡中谷村
西谷村役場
所在地 福岡県企救郡西谷村
座標 北緯33度48分37秒 東経130度51分17秒 / 北緯33.81028度 東経130.85486度 / 33.81028; 130.85486 (西谷村)座標: 北緯33度48分37秒 東経130度51分17秒 / 北緯33.81028度 東経130.85486度 / 33.81028; 130.85486 (西谷村)
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西谷村(にしたにむら)は、現在の福岡県北九州市東部にあたる、旧企救郡に存在した村。1941年4月1日、当時の小倉市に編入され廃止された。かつての村域は現在の北九州市小倉南区の一部であり、紫川沿いの地域は都市化が進んでいるものの、竹林で有名な合馬地区に代表される農山村区域も多い。

歴史

1889年、町村制施行により、現在の長行・長尾・高野・徳吉・合馬・辻三にあたる地域が統合され、企救郡西谷村として発足。同時に誕生した東谷村中谷村と併せ、「三谷(さんたに)地区」と呼ばれることとなった。

基本的には農山村地域だったが、村の東側にあたる紫川沿いの地域には小倉と田川を結ぶ道路(現在の国道322号)が通っていた。村の北側は企救町→合併後の小倉市と接していたこともあり、1941年太平洋戦争の開戦を前にして中谷村とともに小倉市へ編入された。その際、旧西谷村役場は旧中谷村役場を統合して、小倉市の「両谷」地域における出先機関となった。

第二次世界大戦の終戦を小倉市として迎えたこともあり、「西谷」の地域名は戦後ほとんど使われなくなり、郵便局NTT西日本の交換機基地局、九州電力変電所に、その名前をとどめるぐらいである。

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、田代村、長行村、辻三村、合馬村、徳吉村が合併して企救郡西谷村が成立。田代・長行・辻三・合馬・徳吉はそれぞれ西谷村の大字になる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 中谷村とともに小倉市へ編入され廃止された。

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