西谷
西谷
読み方:ニシダニ(nishidani)
所在 愛媛県松山市
西谷
西谷
西谷
西谷
西谷
読み方:ニシタニ(nishitani)
所在 兵庫県篠山市
西谷
西谷
西谷
読み方:ニシダニ(nishidani)
所在 新潟県長岡市
西谷
読み方:ニシダニ(nishidani)
所在 新潟県刈羽郡刈羽村
西谷
西谷
西谷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 13:24 UTC 版)
西谷(にしたに、にしだに、にしのや、にしや、にしやち)
人名
日本人の姓のひとつ。
地方公共団体
地名
- 西谷 (福島県金山町) - 福島県大沼郡金山町の地名(にしたに)。
- 西谷 (さいたま市) - 埼玉県さいたま市北区の地名(にしや)。日進町 (さいたま市)を参照。
- 西谷 (川島町) - 埼玉県比企郡川島町の地名(にしや)。
- 西谷 (横浜市) - 神奈川県横浜市保土ケ谷区の地名(にしや)。
- 西谷 (長岡市) - 新潟県長岡市の地名(にしだに)。
- 西谷 (刈羽村) - 新潟県刈羽郡刈羽村の地名(にしだに)。
- 西谷 (福井市) - 福井県福井市の地名(にしたに)。
- 西谷 (丹波篠山市) - 兵庫県丹波篠山市の地名(にしたに)。
- 西谷 (吉野町) - 奈良県吉野郡吉野町の地名(にしたに)。
- 西谷 (智頭町) - 鳥取県八頭郡智頭町の地名(にしだに)。
- 西谷 (八頭町) - 鳥取県八頭郡八頭町の地名(にしだに)。
- 西谷 (松山市) - 愛媛県松山市の地名(にしだに)。
- 西谷 (久万高原町) - 愛媛県上浮穴郡久万高原町の地名(にしだに)。
- 西谷 (北川村) - 高知県安芸郡北川村の地名(にしだに)。
- 西谷 (行橋市) - 福岡県行橋市の地名(にしたに)。
- 三国町西谷 - 福井県坂井市の地名(みくにちょうにしたに)。
- 名田庄西谷 - 福井県大飯郡おおい町の地名(なたしょうにしだに)。
- 但東町西谷 - 兵庫県豊岡市の地名(たんとうちょうにしだに)。
- 平岡町西谷 - 兵庫県加古川市の地名(ひらおかちょうにしたに)。
- 山南町西谷 - 兵庫県丹波市の地名(さんなんちょうにしたに)。
- 中辺路町西谷 - 和歌山県田辺市の地名(なかへちちょうにしだに)。
- 広瀬町西谷 - 島根県安来市の地名(ひろせちょうにしだに)。
- 本耶馬渓町西谷 - 大分県中津市の地名(ほんやばけいまちにしたに)。
その他
- 西谷駅 - 神奈川県横浜市保土ケ谷区にある相鉄本線・相鉄新横浜線の駅。
- 西谷藩 - 能登国に存在した藩。
- 西谷自動車 - 兵庫県宝塚市にあったバス事業者。のち阪急田園バスとなり、2019年に阪急バスに吸収合併。
関連項目
西谷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:52 UTC 版)
摩尼殿正面の階段下から西へ向かう参道があり、これとは別に、摩尼殿の裏手から西へ向かう山道もあるが、いずれの道を経由しても、徒歩数分で大講堂のある広場に出る。白砂の広場を囲んで、右(北)に大講堂、正面(西)に食堂、左(南)に常行堂の3棟が「コ」の字形に並ぶ一画は、中世の寺院景観を現在に伝えており、これら3棟を総称して「三之堂(みつのどう)」と呼ばれている。「三之堂」は元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷、永享8年(1436年)の火災で焼失し、現存する各堂は室町時代、15世紀半ばの再建である。大講堂に接して、築地塀で囲まれた本多家廟所がある。元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷で焼失するまで、本多家廟所の地には五重塔が建っていた。五重塔を含めたものが本来の伽藍配置であり、1992年(平成4年)、塔頭・十妙院より、五重塔や多宝塔が見られる「播磨国書写山伽藍之図」の版木も発見されている。なお、五重塔に安置されていた平安時代後期の大日如来坐像(木造、像高102.0 cm)が、食堂の宝物館にある。「三之堂」の南方には、鐘楼、法華堂、榊原家墓所、金剛堂などがあり、その南の一段低くなった区域には、松平家墓所および薬師堂がある。「三之堂」の西方には「奥之院」があり、開山堂、護法堂、護法堂拝殿、不動堂などがある。 大講堂(重要文化財) - 北側に位置する大講堂は、2重1階、入母屋造、本瓦葺。桁行(正面)7間、梁間(側面)6間。下層は永享12年(1440年)に、上層は寛正3年(1462年)に建造され、文明年間(1469年 - 1487年)に全体が整備されたと考えられる。元和8年(1622年)、姫路藩主本多忠政により修復。1951年(昭和26年)- 1956年(昭和31年)に解体修理された。もともとは寛和2年(986年)に参詣した花山法皇の勅願により、3間四方の講堂として建立。内陣には釈迦如来および両脇侍(文殊菩薩・普賢菩薩)像を安置する。木造釈迦如来および両脇侍像(重要文化財) - 釈迦三尊像。3体ともヒノキの一木造、漆箔。四天王立像(現・摩尼殿安置)とともに圓教寺創建期の10世紀の作であり、釈迦三尊像は永延元年(987年)の造立とされる。釈迦如来坐像 - 木造、像高138.2 cm。中尊。貞応元年(1222年)および享保17年(1732年)に修理された銘が像内にある。 文殊菩薩立像 - 木造、像高155.8 cm。中尊の右側(向かって左側)。 普賢菩薩立像 - 木造、像高155.5 cm。中尊の左側(向かって右側)。 常行堂(重要文化財) - 常行三昧堂。大講堂に向き合う位置に建つ。方5間、入母屋造の常行堂の北側に、正面(東西)10間、側面2間、切妻造の吹き放しの建物が接続する特異な形式の建物である。切妻造の部分は東半部を「中門」(寝殿造の中門廊に似ることによる)、西半部を「楽屋」と称し、中央部に唐破風造、1間四方の「舞台」が突出する。屋根はすべて本瓦葺。常行堂の部分は東を正面とし、常行堂の本尊・阿弥陀如来坐像を安置する。寺伝によれば元弘年間(1331年 - 1334年)に建立。永享8年(1436年)の焼失後、享徳2年(1453年)に再建。1963年(昭和38年)より解体修理された。木造阿弥陀如来坐像(重要文化財) - ヒノキの寄木造、漆箔。像高254.0 cm。『延照記』(『円教寺旧記』所収)の記述により、性空の弟子・安鎮により寛弘2年(1005年)頃に造立されたものとわかる。かつては山内にあった往生院大仏殿に安置されていた像で、常行堂が再建された享徳2年(1453年)頃に本尊となる。 食堂(重要文化財) - 別名・長堂。古くは三宝院と称された。2階の屋根は隣の常行堂の屋根に接している。桁行(正面)15間、梁間(側面)4間、入母屋造、本瓦葺。総2階建の長大な仏堂である。日本の近世以前の仏堂建築で、このように長大かつ総2階とするものは他に例がない。承安4年(1174年)に参詣した後白河法皇の勅願により建立され、教興坊と称された。暦応元年(1338年)に再建、貞和4年(1348年)落慶というが、現在の建物は、様式などにより室町時代中期のものと考えられる。1階は柱間15間のうち、北寄りの1間を引戸とするほかはすべて蔀戸(しとみど)とし、腰壁を設け、内部は円柱が並ぶ広大な1室とするなど、他に例を見ない構成になっている。1959年(昭和34年)より解体修理された。2階はガラスケースを設置して宝物館としており、食堂の本尊となる僧形文殊菩薩像のほか、寺内の諸堂にあった仏像などがここに移されている。堂内は仏像や絵画などの寺宝が展示されている。食堂一階に大講堂、薬師堂の御朱印がもらえる納経所がある。僧形文殊菩薩坐像 - 木造、像高84.5 cm。元禄13年(1700年)造。食堂には、本尊を安置する須弥壇はないが、「聖僧」として僧形の文殊菩薩坐像が置かれた。 弁慶の鏡井戸 - 食堂の脇にある。弁慶が顔を映したといわれる。 大黒堂 愛宕社(姫路市指定有形文化財) - 大講堂の北側に位置し、本殿が覆屋内にある。大火により各堂が消失したことで、火伏せの神として建立されたといわれる。一間社流造、栩葺(とちぶき)。様式より17世紀末-18世紀初頭のものと考えられる。 杣観音堂 - 本尊は石造如意輪観音像。1978年(昭和53年)に再建された。 大仏 - 青銅の毘盧遮那仏。宝蔵跡より真言堂の跡地に移座。 白山権現 - 別名・十一面堂。十一面観音を祀る。大講堂裏または摩尼殿裏から木の根道を登った標高371 mの白山峯に位置する。性空が庵を結んだ場所とされるが、性空の来山以前から素盞嗚命が祀られていたという。 鐘楼(重要文化財) - 入母屋造、本瓦葺。桁行3間、梁間2間。様式は袴腰付で腰組をもった正規の鐘楼である。鎌倉時代、寺記によれば元亨4年(1324年)に鐘を再度鋳造したとあり、鐘楼は元徳3年・元弘元年(1331年)に焼失、元徳4年・元弘2年(1332年)に再建されたという。構造からも14世紀前半に建立されたものと考えられるが、15世紀中頃に修理された跡も見られる。銅鐘(兵庫県指定有形文化財) 法華堂 - 法華三昧堂。本尊は普賢菩薩。 薬師堂(兵庫県指定有形文化財) - 別名・根本堂、根本中堂。方2間に1間の礼堂を備える。薬師如来を祀り、円教寺を開山した性空の創建と伝えられるが、それ以前より方2間の草堂があったことが認められており、性空により方3間の堂となったといわれる。寺記「捃拾集」によれば、鎌倉時代、延慶元年(1308年)に焼失、また、元応元年(1319年)に再建とあり、現在の堂は様式からもその時のものと考えられることから、現存する円教寺最古の遺構とされる。1978年(昭和53年)に解体修理された。薬師如来坐像 - 木造、像高86.2 cm。室町時代の作。本尊は羽柴秀吉の乱入の際、近江国に持ち帰ったため、「菅生(すごう)の薬師」と呼ばれた本像を、菅生(姫路市)の寿勝寺より移したといわれる。現在は、食堂2階の宝物館に移座。 展望公園 - 普賢院跡地の南。 金剛堂(重要文化財) - 旧塔頭・普賢院の持仏堂。天文13年(1544年)建立。方3間。入母屋造、本瓦葺。1958年(昭和33年)に修理された。木造金剛薩埵坐像 - ヒノキの寄木造。像高36.5 cm。延文4年(1359年)、康俊作。現在は食堂2階の宝物館に移座。県指定文化財。 行者堂 - 元徳3年・元弘元年(1331年)建立。天正18年(1590年)に再興されたといわれる。本尊は神変大菩薩(役行者)、ほかに不動明王。奥之院の北西方、鯰尾坂参道から北に分かれた行者道沿いにある。 弁天堂 - 行者堂近くにある。 文殊堂 - 西坂参道の中腹にある。
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