災害復興以外の実施例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:03 UTC 版)
「土地区画整理事業」の記事における「災害復興以外の実施例」の解説
大阪府では早くから独自に、1871年(明治4年)に大阪府令として「道路ヲ狭隘ナラシム可ラサル件」に端を発し市町村と連携して街路事業として「路幅整理」を実施し、これは1940年(昭和15年)まで継続した。また1910年(明治43年)に施行した府内の今宮第一耕地整理事業で、日本最初の宅地目的の耕地整理事業を実施した。耕地整理事業自体は1870年(明治3年)に、現在の静岡県袋井市(旧磐田郡田原村)彦島の名倉太郎馬が施行していたが、農商務省が耕地整理に対し補助金交付を開始するのは1908年(明治41年)からである。そのため埼玉県などは1901年(明治34年)から独自に補助金を交付、これは同年に県内の鴻巣町と常光村における耕地整理を着工させるためで、このとき用いられた方式は鴻巣式と呼ばれ以後全国的に用いられた。耕地整理法は1905年(明治38年)に改正しかんがい排水事業まで事業対象を広げるが、1909年(明治42年)法改正では、かんがい排水が主目的となっていた。戦前ではこのほか、広島などは呉市で、海軍施設の建設に伴い、1887年(明治20年)に呉港家屋制限法という県令を制定したほか、地元の村で市街整理商設員なる人員を設置したり、市街築調規約を定め、これに基づいての区画整理が1898年(明治31年)に事業完成をみている。 また、新興工業都市の計画や軍都計画(神奈川県相模原市の事業が当時最大規模)に際して、また駅前等整備の公共団体施行などは東京市が、1930年(昭和5年)から1943年(昭和18年)にかけて、郊外全域に幅員8 - 15m、総延長146kmの生活道路網を都市計画決定し、土地区画整理事業を奨励する。これにより郊外電車駅の駅前広場を含む駅周辺の整備や、練馬区平和台、氷川台地区などにおいて細街路網の整備が進んだ。 土地区画整理事業は1919年(大正8年)制定の旧都市計画法で法的事業化をみたが、旧法では第12条に個人施行と組合施行、第13条に公共団体施行が謳われていた。小栗忠七は自著「土地区画整理の歴史と法制」(巌松堂書店、1935年(昭和10年))で、旧法が法制化されて13条初適用の事業は1929年(昭和4年)認可の富山市神通川廃川跡地の区画整理としている。1883年(明治16年)、洪水問題をきっかけに石川県から分離して富山県が誕生。富山市では当時の神通川の河道が東に大きく曲折して洪水の原因となっていたため、1901年(明治34年)からの神通川の2次改修でオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの提案を受け直線放水路を幅2メートル、深さ1.5メートルの細い水路を作り、洪水の力で土砂を削り新しい河道を造りだす馳越工法によって建設した。この工事の結果、1922年(大正11年)頃に現在の河道、旧馳越水路を新しい神通川とした。しかし、旧河道が富山市街地を分断する形で残ることとなり、都市の発展に大きな障害となる。このためさらに県は1928年(昭和3年)、富岩運河を新設し沿川に工場を誘致、運河を掘った土砂で神通川の跡地を埋め立てて新市街地を整備、残る土砂で東岩瀬港の岸壁、埠頭用地を整備するといった画期的な都市計画決定を行い実施した。この事業は富山県ではじめての都市計画事業として、1930年(昭和5年)から建設が行われることとなった。 そのほかは耕地整備が主で、組合を設立し事業を実行していく。結果事業に尽力した人々の努力により道路が整備され整然とした街並みができていくことになる。組合が土地を買い上げ整備後、所有者に売り渡すという方法が多く取り行われた。 大阪市では大阪駅前の約4haの狭隘な駅前地区において駅前広場の造成と過小宅地の整理によるビル用地整備が行われる。 1937年(昭和12年)以降になると戦時体制下の国土計画に基づく地域開発手段として新興工業都市建設事業や駅前の再開発に土地区画整理事業がいっそう活用され、公共団体施行が増加していく。ただし、1954年(昭和29年)に「土地区画整理法」が制定される前のこうした事業では、旧都市計画法により耕地整理法を準用して土地区画整理を実施していた。 1949年(昭和24年)のシャウプ税制勧告により翌年に地方税法が改正され、都市計画税がいったん廃止された後、1956年(昭和31年)4月地方税法改正で復活したが固定資産税のみに付加されたため徴税範囲が狭まり有力財源とならなくなる。このため、1956年(昭和31年)3月の道路整備特別措置法と1958年(昭和33年)3月の道路整備緊急措置法で制度化された揮発油税と道路整備特別会計が都市整備の有力財源となった。1957年(昭和32年)7月建設省計画局長通達「都市改造事業について」で都市改造事業基本方針を定めているが、5ha以上の地区内における幅員11m以上の街路整備を目的として、土地区画整理事業を施行されることとなっている。こうして、都市改造事業が制定されてからは、1956年(昭和31年)に第二阪神国道(国道43号・浜手幹線)整備のために浜手土地区画整理事業と東京駅八重洲口駅前広場のための八重洲口周辺整備事業による広場整備が開始されている。1957年(昭和32年)から博多駅周辺地区や名古屋駅西口地区など4地区が採用されて以降、国費によって道路整備中心の土地区画整理事業が行われていくことになる。
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