のうしょうむ‐しょう〔ノウシヤウムシヤウ〕【農商務省】
農商務省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/13 23:43 UTC 版)
農商務省(のうしょうむしょう)は、農業や商業に関する政策を管轄する国家行政機関。
- 農商務省 (日本) - 1881年から1925年まで存在した日本の官庁。
- 農商務省 (フィリピン) - 1932年設置。
関連項目
- 農商省 - 1943年から1945年まで存在した日本の官庁。
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農商務省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/07 07:16 UTC 版)
1881年(明治14年)4月勧農局の廃止により農商務三等属となり、農務局に属して下総種畜場に勤務した。5月牧畜掛を兼務し、8月二等属となった。9月大日本農会農芸委員となり、獣医科・牧畜科を担当した。10月東京に出張し、11月文部省御用掛を兼務し、専門学務局に勤務した。1882年(明治15年)1月農務局報告課に転じ、一等属となり、9月下総種畜場に兼勤した。 1883年(明治16年)5月石川県に出張した。7月報告課に戻り、農書編纂掛を兼務し、前田貫一著『農業簿記教授書』を校閲した。1884年(明治17年)7月農書編纂掛兼農務局事務取扱となり、9月畜産諮詢会事務取扱を命じられた。1885年(明治18年)6月種畜場は宮内省に移管された。 1886年(明治19年)1月文部省御用掛を解かれ、農務局編纂課に勤務した。3月課長となり、判任官一等に進んだ。1887年(明治20年)4月大日本農会第18回農産品評会で食用家禽の品評委員を務めた。1889年(明治22年)3月非職となった。 1889年(明治22年)11月花房義質等と日本園芸会を設立し、評議員に当選した。1890年(明治23年)5月広沢安任・与倉東隆・玉利喜造等と日本畜産協会を創立し、10月幹事・会計委員となった。1891年(明治24年)12月中旬病気に罹り、1892年(明治25年)1月1日死去し、4日青山共葬墓地に葬られた。子は2男があり、次男竹次郎が家を継いだ。
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