戦争後
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1946年「竹田病院々歌」(作詞:土井晩翠) 1947年「夢淡き東京」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎) 1947年「白鳥の歌」(作詞:若山牧水、歌:藤山一郎、松田トシ) 1947年「雨のオランダ坂」(作詞:菊田一夫、歌:渡辺はま子) 1947年「三日月娘」(作詞:薮田義雄、歌:藤山一郎) 1947年「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、歌:川田正子、コロムビアゆりかご会) 1947年「夜更けの街」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男) 1948年「栄冠は君に輝く」(作詞:加賀大介、歌:伊藤久男) 1948年「フランチェスカの鐘」(作詞:菊田一夫、歌:二葉あき子) 1948年「国境の灯」(作詞:西條八十、歌:霧島昇) 1948年「スポーツ県民歌」(作詞:西條八十) 1948年「若き日のエレジー」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男) 1949年「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎) 1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団) 1949年「都市対抗を讃える野球の歌」(作詞:青木薫、補作詞:サトウハチロー) 1950年「別れのワルツ」(スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(日本では蛍の光として知られる)の編曲)なお、レコードに表示されている「ユージン・コスマン(編曲)」「ユージン・コスマン管弦楽団(演奏)」は本名(古関裕而)をもじって命名された。 1950年「ドラゴンズの歌」(作詞:小島清、補作詞:サトウハチロー、歌:伊藤久男、コロムビア合唱団) 1950年「私のドラゴンズ」(作詞:田中順二、補作詞:藤浦洸、歌:安西愛子) 1950年「東急フライヤーズの唄 / 東映フライヤーズの歌」(作詞:藤浦洸)東急フライヤーズが1954年に東映フライヤーズに改称した際は、曲名・歌詞に最小限の改訂を加えて継続使用された。1967年に古関が旋律を大幅に改訂している。 1950年「薔薇と蜜蜂」(作詞:野村俊夫、歌:二葉あき子) 1950年「福島県スポーツの歌」(作詞:小林金次郎、歌:藤山一郎) 1950年「われらが愛知」(作詞:若葉清成、補作詞:西條八十、歌:藤山一郎、安西愛子) 1951年「恋を呼ぶ歌」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男) 1951年「さくらんぼ大将」(作詞:菊田一夫、歌:川田孝子、コロムビアゆりかご会) 1951年「さくらんぼ道中」(作詞:菊田一夫、歌:古川ロッパ、土屋忠一) 1951年「あこがれの郵便馬車」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎) 1951年「ニコライの鐘」(作詞:門田ゆたか、歌:藤山一郎) 1951年「薄紫の山脈(島根県民の歌)」(作詞:米山治、歌:藤山一郎、立川清登) 1951年「白いランプの灯る道」(作詞:丘灯至夫、歌:奈良光枝) 1951年「長崎の雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎) 1952年「黒百合の歌」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子) 1952年「夜船の灯り」(作詞:野村俊夫、歌:久保幸江) 1952年「いつだったかな」(作詞:菊田一夫、歌:越路吹雪) 1952年「ジロリンタンのうた」(作詞:サトウハチロー、歌:安西愛子、杉の子こども会) 1953年「君の名は」(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子) 1953年「君いとしき人よ」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男) 1953年「ひめゆりの塔」(作詞:西條八十、歌:伊藤久男) 1953年「みどりの雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎) 1953年「みどりの馬車」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎) 1953年「岬の灯り」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男) 1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎) 1954年「サロマ湖の歌」(作詞:中山正男、歌:伊藤久男) 1954年「滋賀県民の歌」(作詞:蓼沢猟(五味道茂)、補作詞:西條八十、歌:岡本敦郎、奈良光枝、コロムビア合唱団) 1954年「数寄屋橋エレジー」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男) 1954年「チャンドラムの夜」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男) 1954年「花のいのちを」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男、奈良光枝) 1954年「秋草の歌」(作詞:西條八十、歌:奈良光枝) 1954年「綾の歌」(作詞:菊田一夫、歌:淡島千景) 1954年「百万石音頭」(作詞:丘十四夫、歌:伊藤久男、永田とよこ) 1954年「福島音頭」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男、神楽坂はん子) 1954年「郡山市民の歌」福島県郡山市(作詞:内海久二) 1954年「君は遙かな」(作詞:菊田一夫、歌:佐田啓二、織井茂子) 1954年「忘れ得ぬ人」(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男) 1955年「花売馬車」(作詞:西條八十、歌:美空ひばり) 1955年「我が家の灯」(作詞:西條八十、歌:美空ひばり) 1955年「あゝ藤原湖」(作詞:西條八十、歌:伊藤久男、奈良光枝) 1956年「メコンの舟歌」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男) 1957年「忘却の花びら」(作詞:菊田一夫、歌:草笛光子) 1957年「荷物片手に」(作詞:野口雨情、歌:森繁久彌) 1957年「二本松少年隊」(作詞:野村俊夫、歌:伊藤久男) 1958年「オリンピック賛歌」(作詞:コスティス・パラマス、作曲:スピロ・サマラス。第1回アテネ大会時の紛失ピアノ楽譜を発見、採譜・オーケストラ編曲。古関のオーケストラ譜は現在に至るまで用いられる) 1959年「城南信用金庫の歌」(作詞:西條八十、歌:藤山一郎、安西愛子) 1960年 陸上自衛隊隊歌「この国は」(作詞:大関民雄、補作詞:西沢爽) 1960年 陸上自衛隊隊歌「君のその手で」(作詞:西沢爽) 1960年 陸上自衛隊行進歌「聞け堂々の足音を」(作詞:梅津統秋、補作詞:サトウハチロー) 1960年「スカイラインの歌」(作詞:野村俊夫、歌:守屋浩) 1960年「花のスカイライン」(作詞:内海久二、補作詞:野村俊夫、歌:守屋浩) 1961年「モスラの歌」(作詞:本多猪四郎、田中友幸、関沢新一、歌:ザ・ピーナッツ) 1961年「夕月」(作詞:菊田一夫、歌:島倉千代子) 1961年「ハーモニカ小僧」(作詞:菊田一夫、歌:中山千夏) 1963年「あの橋の畔で」(作詞:菊田一夫、歌:島倉千代子) 1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」(作詞:椿三平、補作詞:西條八十、歌:守屋浩、三鷹淳、若山彰) 1964年「オリンピック・マーチ」(演奏:陸上自衛隊中央音楽隊) 1964年「故郷はいつも瞼に」(作詞:野村俊夫、歌:不明) 1966年「スカーレット・オハラ」(作詞:菊田一夫、歌:那智わたる) 1968年 青年海外協力隊隊歌「若い力の歌」(作詞:山田哲、補作詞:藤田まさと、歌:藤山一郎) 1968年「若鷲の歌」(作詞:西條八十、歌:西郷輝彦) 1969年「青春の鐘」(作詞:丘灯至夫、歌:舟木一夫) 1970年「アニメンタリー 決断」テーマソング「決断」(作詞:丘灯至夫、歌:幹和之) 1970年 陸上自衛隊隊歌「栄光の旗の下に」(作詞:赤堀達郎、補作詞:藤田正人) 1971年「純白の大地(札幌冬季オリンピックの歌)」(歌:日本合唱協会) 1973年「串本ぞめき」(作詞:西沢爽、歌:美空ひばり) 1977年「ドカベン」挿入歌「ああ甲子園」(作詞:保富康午、編曲:菊池俊輔、歌:日唱) 1978年「わがまち春日井」(作詞:岡本淳三、補作詞:春日井市民の歌作成委員会、歌:ダークダックス) 1979年「若さと英知~日本ビジネスコンサルタント社歌」(原案:社内公募、作詞:丘灯至夫、歌:三鷹淳) 1985年「日立物流社歌」(作詞:丘灯至夫、歌:コロムビア混声合唱団)
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「戦争後」の例文・使い方・用例・文例
- 戦争後日本は大きな変化を遂げた。
- 戦争後日本は大きな変化を遂げた
- 戦争後、イギリスは多くの植民地を得た。
- 戦争後急にかかりが多くなった
- 南北戦争後、彼は自由の身だった
- 南北戦争後に米国の南部で秘密に計画された集団のメンバー
- 南北戦争後、主に私欲のために再建政策を支持した南部白人(通常私利のために)
- 南北戦争後、南部諸州が再編され、連邦に再加入した時代
- 普仏戦争後のドイツ帝国における反カトリック教会政策
- 1991年の湾岸戦争後,イラクは完全武装解除を要求する国連の決議案を受け入れた。
- ベトナム戦争後の1975年に,ベトナム政府は競馬を含むギャンブルを禁止した。
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