会長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:38 UTC 版)
2003年(平成15年)、中原誠が会長になったのを受けて、日本将棋連盟の専務理事に就任。そして、2005年(平成17年) 中原誠の後を受け、日本将棋連盟会長に就任。名人戦の朝日新聞と毎日新聞による共催実現、瀬川晶司のプロ入り試験実現、日本女子プロ将棋協会(LPSA)の独立問題への対応など、個々の事例については批判もあるが、一定の実績を残している。 詳細は「名人戦 (将棋)#2006年」および「棋士 (将棋)#プロ編入制度」を参照 また、将棋連盟の赤字体質改善のため、多くのリストラを行ったが、関西本部にあった「将棋博物館」を2006年(平成18年)に閉鎖し、収蔵品を大阪商業大学アミューズメント産業研究所に譲渡したことについては木村義雄十四世名人の娘などから批判を受けた。 将棋連盟会長となって以降も、自身のサイトからの情報発信に加え、前述の『正論』や中日スポーツ・東京中日スポーツの連載コラム「セブンデイズ」など個人の立場での寄稿を継続している。日本将棋連盟のホームページでは笑顔でWピースの写真を役員紹介の写真に採用している。
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