独立問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:34 UTC 版)
詳細は「カタルーニャ独立運動」を参照 2006年には自治権の拡大を謳った新たな2006年カタルーニャ自治憲章(スペイン語版)が制定されたが、2010年にはこの自治憲章がスペイン憲法裁判所によって違憲であるとされた。また、スペインは財政力の弱い地域を支援する税制を採用しており、財政力が強いカタルーニャ州は特に再配分比率が低い地域であるため、カタルーニャ州住民はソブリン危機に端を発するスペイン経済危機の状況下で不満を募らせていた。カタルーニャ・ナショナリズムの機運が高まったのは、自治憲章の違憲判決と税制の不公平感という2点が理由であり、2010年半ばには独立支持派がはっきりと増加した。また、これまでに非公式ながら独立の是非を問う住民投票が何度か行われている。 2010年7月の大規模デモ「2010年カタルーニャ自治抗議」には約110万人が参加。2012年の150万人が参加した大規模なデモ、2013年の「カタルーニャ独立への道」、2014年の「カタルーニャの道2014」など、毎年のように大規模デモが開催されている。2014年にはカタルーニャ州独立を問う住民投票が実施され、2015年カタルーニャ自治州議会選挙では、独立賛成派が過半数の135議席中72議席を獲得し、州議会がカタルーニャ独立手続き開始宣言を採択した。2017年10月1日に独立を問う住民投票が実施され、投票率4割ながら賛成が9割に達した。10月10日にカタルーニャ独立宣言は署名されたものの即時凍結され、中央政府に対し対話を求めたものの独立宣言そのものは撤回しなかったため、10月21日に中央政府は自治政府の権限を一時停止する方針を決定。10月27日、州議会は独立宣言を賛成多数で承認した。これを受け中央政府はプッチダモンら州政府幹部らを更迭し、ソラヤ・サエンス・デ・サンタマリーア副首相を州首相の職務代行に据えるなどカタルーニャ州の直接統治に乗り出した。12月21日に投開票が行われたカタルーニャ自治州議会選挙では独立派政党が過半数を獲得し、議長に独立派であるトレント (Roger Torrent) 議員が就任した。選挙の結果を受け、州政府首相としてプッチダモン元首相が指名され、1月30日に信任投票が行われる予定であったが、憲法裁判所による差し止め命令を受け、信任投票は延期された。プッチダモンは亡命を余儀なくされ、2018年3月にはドイツで逮捕されたが、ドイツ司法はプッチダモンの反逆罪を否定し、スペインへの引き渡しを拒否している。その後擁立された独立活動家のサンチェス氏の信任は、氏が収監中であることを理由に信任投票自体が不成立となり、続く一名の候補の不信任を経て、2018年5月14日にキム・トーラが第131代カタルーニャ州政府首相として信任が可決。6月に閣僚名簿がスペイン中央政府に承認されたことで、カタルーニャは自治権を回復した。 独立派と中央政府との対立は1975年のスペイン民主化以来、最大の騒乱となっており、独立に反対する過激派右翼や「ファランヘ党」を名乗る独立反対勢力によってカタルーニャや同じカタルーニャ語圏であるバレンシアやバレアレス諸島の民家や店舗が襲撃されるなどの事件も起きており、大きな社会問題となっている。
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