独立四〇七七重機甲師団出身者
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孟閣(もうかく) 声 - 渡部猛 / 同左 (重機甲師団副師団長→第一近衛軍副司令→南京楼軍盟主付き副将→五丈国大将軍→戦死) 独立四〇七七重機甲師団副師団長。新米師団長であった竜我に対して当初は危ぶんでいたものの、南征の時の竜我の活躍を見て信服。以後は竜我軍の宿将筆頭として戦場で活躍すると同時に、師真や三楽斎に対する武官の不満を抑えたりもしている。 竜我が五丈王に即位した時、大将軍に就任。六紋海合戦では息子の孟起と共に奮戦する。 第二次南征の前、乗馬中に落馬した事により留守居役に甘んじるが、公叔の言に誑かされた秦宮括率いる西羌軍に対し寡兵ながら立向かい、西羌軍を翻弄するものの、乗艦が被弾したことにより敗北。最後は王宮において秦宮括の降伏の呼びかけに「五丈の将に死する者はあっても降伏する者はなし」と大喝。紫紋や三楽斎を逃がすべく奮闘し、裏切り者公叔を道連れに火中に没した。 本人は優れた武人だが、武勇よりは統率力が目立っている。また、事務能力も高く、三楽斎が帰順するまでは、竜我陣営の事務を取り仕切っていた。 アニメ版では、竜我が麗羅に監禁された紫紋を助け出すのに協力したり、骸羅に追われる麗羅を助ける竜我に同行して上陸したりと、白兵戦を行う場面が増えている。 鐘士元(しょうしげん) 声 - なし / 長嶝高士 (五丈国武官→南京楼軍武官→五丈国将軍→五丈国前督丞相司馬) 竜我が重機甲師団長着任以来の隻眼の宿将。その武芸は竜我陣営でも五指に入る。勇猛果敢さを買われ、序盤では常に先鋒を受け持った。項武が参入してからは次鋒以下に甘んじるが、将軍として優れた統率力を発揮する。最初は師真のような知性派とはそりが合わなかったが、彼の実力を目の当たりにし信服するようになる。 金州海で一度「独眼竜」を名乗ったことがある(対戦相手には鼻で笑われたが)。 姚文(ようぶん) (五丈国武官→南京楼軍武官→五丈国将軍→五丈国右軍領兵使関内候) 鐘士元と共に竜我の股肱の臣。武勇に秀でていたが よく書をし、武辺一辺倒ではない一面もある。 姜子昌の月落としの際は見事雷を救出する活躍を見せる。 王権(おうけん)、楊平(ようへい)、劉徳(りゅうとく)、李福(りふく)、大禅(たいぜん) (重機甲師団司令部要員) 四〇七七師団の幹部で、それぞれ、旗艦金剛の艦長、武器総監、情報総監、参謀長、砲術総監を務める。 原作漫画では早々に出番をなくしたが、アニメ版では中盤まで出番を保ち、竜我に戦略立案の難しさと軍師の必要性を説き、大覚屋師真が起用される下地を作った。 コミックス27巻では王権と李福の両名が弾正による南征時に戦死したと解説されている。 武尊(ぶそん)、備中(びちゅう) (戦艦金剛乗組員) 弾正による南征時の金剛操艦要員。武尊は操舵手、備中は航行機関手を務める。 装民(そうみん) (重機甲師団造船総監→南京楼造船総監→五丈国造船総監→病没) 四〇七七師団の造船総監。主に技術方面で竜我を支える。金剛の設計者でもある。 竜我が師団長になったころは一介の師団付き造船総監として振る舞っていた。実は、比企弾正から召し出されて国境に巨砲を設置したこともある。甥の装伯に後事を託し77歳で天寿を全うした。
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