独立回復後および共産党政権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:34 UTC 版)
「ポーランドの地方自治」の記事における「独立回復後および共産党政権時代」の解説
ポーランドが独立を回復した1918年から第二次大戦直前においては県と郡及びグミナの三層構造が採られていた(1939年4月現在で17県・264郡・3195グミナ)。第二次大戦後は従来制度を基本としつつ、グミナの下に地区(Gromada)と区(Dzielnica、ワルシャワとウッジに設置)を設置する制度が導入された。1954年、共産党(ポーランド統一労働者党)政権による地方制度改革によって、グミナが廃止され、それまでグミナの下に置かれていた地区 が地方の基礎団体となった。その後、1973年から75年にかけて地方制度改革が行われ、1973年に地区制度が廃止されグミナが復活した。そして75年には郡の廃止と県の分割(22→49)、郡の権限をグミナに委譲し、県とグミナによる二層構造となった。
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