即位と外遊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:18 UTC 版)
「メアリー・オブ・テック」の記事における「即位と外遊」の解説
1911年6月22日、ジョージ5世夫妻は戴冠式を執り行った。さらに、ジョージ5世の提案により、新たに「インド帝冠(英語版)」を作成させた上で、翌1911年12月12日にデリーで戴冠式(大謁見式:ダーバール)を執り行った。メアリー王妃には、デヴォンシャー公爵夫人イヴリン(英語版)や寝室付き女官(英語版)シャフツベリ伯爵夫人コンスタンス(英語版)らが同行し、大掛かりな訪問となった。 翌1912年は、アイルランド独立問題が表面化して外遊は無く、翌1913年5月14日はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(ジョージ5世の従兄)の長女ヴィクトリア・ルイーゼ皇女の結婚式のためベルリンを訪問したが、公式訪問ではなかった。 1914年4月にジョージ5世は、初の公式訪問先に英仏協商10周年記念として、フランスのパリを選んだ。外国語や外交の苦手な国王を、フランス語に堪能なメアリー王妃が支えた。
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