即位とアルフォンソ10世との交渉
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「ムハンマド2世 (ナスル朝)」の記事における「即位とアルフォンソ10世との交渉」の解説
1273年1月22日にムハンマド1世は落馬した際の負傷が原因となって死去した。そして息子のムハンマドがムハンマド2世として君主の地位を継承した。ムハンマド2世は既に後継者として指名されていたために権力の移行は円滑に進んだ。そしてムハンマド2世が最優先に取り組まなければならなかった課題は、父親と同盟を結びナスル朝の領内に迎え入れられていたカスティーリャの反乱勢力とアシュキールーラ家の反乱に対処することであった。ヌーニョ・ゴンサレスが率いるカスティーリャの反乱勢力はカスティーリャとアシュキールーラ家の双方への牽制に役立っていたが、ムハンマド2世の即位後に両者が互いに支援を失うことを恐れたために協力関係が弱まっていた。一方でアルフォンソ10世は反乱勢力の一部と和解することに関心を示していた。 その後、ムハンマド2世はカスティーリャとの同盟を確保できればカスティーリャの反乱勢力による支援を失うことを恐れる必要はなくなると考え、アルフォンソ10世との交渉を開始した。1273年の後半にムハンマド2世とカスティーリャの反乱軍の一部の指導者たちがセビーリャのアルフォンソ10世の宮廷を訪れ、そこで両者は名誉をもって歓迎を受けた。アルフォンソ10世はムハンマド2世が自分の臣下となり、毎年300,000マラべディの貢納金を支払うという条件と引き換えにアシュキールーラ家への支援を打ち切り、ムハンマド2世もカスティーリャの反乱勢力との協力関係を解消するというナスル朝の提案に同意した。しかしながら、一旦貢納金の支払いが行われるとアルフォンソ10世はこの時の取引の一部を反故にし、アシュキールーラ家への支援を継続してムハンマド2世に停戦を受け入れるように圧力をかけた。
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