即位とイスファハーン遷都とは? わかりやすく解説

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即位とイスファハーン遷都

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 03:00 UTC 版)

マリク・シャー」の記事における「即位とイスファハーン遷都」の解説

1072年に父アルプ・アルスラーンマー・ワラー・アンナフル遠征中に急死したことにより、長男マリク・シャー17歳という若年大セルジューク朝スルタン即位した。しかしこれは彼のアタベク名宰相ワズィール)と称されニザームルムルク画策するところが大きく伯父で父アルプ・アルスラーン長兄であった ケルマーン・セルジューク朝始祖カーヴルト・ベグスルターン位を求めて反乱起こした。翌1073年にカーヴルドは捕縛され処刑されたが、カーヴルドの息子たち已然としてケルマーン強勢保っていたため討伐実現し難くマリク号を剥奪するかわりにアミール位を与えてカーヴルド家によるケルマーン支配事実上黙認したまた、さらに1074年にはイラン東部ホラーサーン地方主都ニーシャープール領有していた弟のテキシュ反乱を起こすなど、治世初頭親族間との紛争悩まされた。 これにともなって王都(ダール・アル=ムルク)をエスファハーン定めたこの位置は東南部強力なカーヴルド王家西南部のアッバース朝対しにらみを利かせることが狙いであるが、北方レイマーザンダラーンなどカスピ海南岸地域東方ホラーサーンマー・ワラー・アンナフル西方ルームシリア方面への接続にも利便性高かったため、治世中に展開した領土拡張にも大い地の利を得る形となった

※この「即位とイスファハーン遷都」の解説は、「マリク・シャー」の解説の一部です。
「即位とイスファハーン遷都」を含む「マリク・シャー」の記事については、「マリク・シャー」の概要を参照ください。

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