即位と偽ムスタファ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 06:34 UTC 版)
1404年誕生。1421年、父帝の崩御により即位する。父は他の兄弟から皇位を得るときに東ローマ帝国の援助を受けていたため、この頃のオスマン朝と東ローマ帝国は、同盟関係にあった。 ところがオスマン朝の皇帝が代替わりしたのを見て、東ローマ皇帝・マヌエル2世パレオロゴスの子・ヨハネス8世パレオロゴスがアンカラの戦いで戦死したと思われていた父の兄弟ムスタファ(この人物が本物であったかどうかについては不明。オスマン側では「偽ムスタファ」と呼び偽物と断じている)を対立皇帝に擁立し、内政干渉を図ってきた。 だが、これに激怒したムラト2世は、ムスタファを打ち破って処刑すると、東ローマ帝国との同盟を破棄。1422年に、軍を興して、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを包囲した。 弱体化していた東ローマ軍はオスマン軍の敵ではなく、落とそうと思えば落とせたが、マヌエル2世が父を皇帝にしてくれた恩と類稀な文化人で優れた才能を持っていたということもあって、ムラト2世は自国に有利な和睦条約を結ぶこと(東ローマのオスマン朝への臣従など)で、軍を返している。なお一説では、「本国で反乱が起こったため」とも言われている。
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