即位と憲法発布とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 即位と憲法発布の意味・解説 

即位と憲法発布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:32 UTC 版)

アブデュルハミト2世」の記事における「即位と憲法発布」の解説

1876年叔父アブデュルアズィズミドハト・パシャによってクーデター廃されその後継いだ兄のムラト5世精神疾患ですぐに退位したため、新皇帝として擁立された。兄と共に叔父西欧訪問随行した経験を持つが、皇子時代ムラト5世が「新オスマン人」と呼ばれる立憲派積極的な関わり持ったのに対しアブデュルハミト2世逆に距離を置いていたといわれるこのため開明的人物であるという評判とは裏腹に、その政治姿勢手腕は全くの未知数人物であったアブデュルハミト2世即位した当時オスマン帝国バルカン半島での諸反乱巡りロシアとの関係悪化しつつあった。そのため、諸外国支持取り付けるためにもさらなる近代化改革を行う意志内外に示す必要に迫られていた。 これにより、帝国では憲法制定されることとなり、ミドハト・パシャ制憲委員会委員長、ついで大宰相任命して12月23日オスマン帝国憲法ミドハト憲法)の発布こぎつけた憲法ではムスリムイスラム教徒)と非ムスリムの平等が定められ勅選の上院と民選下院からなる議会開設された。 こうして、オスマン帝国における第一次立憲制始まったものの、アブデュルハミト2世叔父クーデターで廃位された経験から皇帝強化したい意向持っており、憲法によって皇帝制限されることに強い警戒感抱いていた。このため憲法に戒厳令発令危険人物国外追放といった、強い君主大権残された。

※この「即位と憲法発布」の解説は、「アブデュルハミト2世」の解説の一部です。
「即位と憲法発布」を含む「アブデュルハミト2世」の記事については、「アブデュルハミト2世」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「即位と憲法発布」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「即位と憲法発布」の関連用語

即位と憲法発布のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



即位と憲法発布のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアブデュルハミト2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS