スコットランド独立
別名:スコットランド独立運動、スコットランドの独立、スコットランドの分離独立、スコットランド独立問題
スコットランドをイギリスから分離させて独立国家にしようという構想、および、独立の是非を巡る動向。特に、2013年から2014年にかけて機運が高まり、2014年9月に国民投票が実施されるに至った一連の出来事。
スコットランドはグレートブリテン島の北部地域に位置し、18世紀初頭までは独立した王国であった。グレートブリテン島の南部を支配していたイングランド王国と合併し、さらに周辺国とも合併して、19世紀初頭に現在の連合王国の構成が築かれた。以降、スコットランドの名称は地域名または行政区分として扱われている。
スコットランドの独立を求める意識は、スコットランドにおいては古くから(イングランドへの対抗意識と共に)根付いているといえる。20世紀半ばに北海油田の開発が進み、膨大な量の石油が採掘可能となったことで、独立を求める声は特に顕著になりつつあった。
2013年にスコットランド議会で独立を主題とする白書が発表された。翌2014年にはスコットランド独立の是非を問う国民投票の実施が決定した。国民投票は2014年9月18日に実施された。投票率は88パーセントを超えた。開票結果はスコットランド独立賛成がおよそ45パーセント、独立反対がおよそ55パーセントとなり、反対多数によりスコットランド独立は見送られる(イギリスに残留する)ことが決定した。
スコットランド独立問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:06 UTC 版)
「エリザベス2世」の記事における「スコットランド独立問題」の解説
「スコットランド独立運動」および「2014年スコットランド独立住民投票」も参照 2013年4月、1歳年長のサッチャー元首相が逝去し、女王はその準国葬に参列した。女王が臣下の葬儀に参列するのは、チャーチル元首相の国葬以来であった。 同年には、戴冠式から60周年を記念し、ジョージ4世・ステート・ダイアデム(英語版)を身に付け王宮内で微笑む写真と、スコットランドの原野でシッスル勲章のローブを着用した険しい表情の写真が公表された。後者の写真が撮影された背景には、スコットランド独立運動の高まりがあった。 そもそも2011年に、スコットランドの連合王国からの独立を掲げるスコットランド国民党(SNP)が過半数を獲得したため、翌2012年のエディンバラ合意(英語版)に基づき、2014年9月に独立を問う住民投票が行われる予定だった。ケンブリッジ公夫妻は大学時代をスコットランドで過ごしていたため、当地では英王室は高い人気を誇っており、さらに女王は、エディンバラ合意の前にウィリアム王子をシッスル勲爵士に叙していた。王室人気により、投票は結局否決されたが、可決されたとしても、エリザベス2世が引き続きスコットランド女王を兼ねる可能性があった。 2011年7月1日、スコットランド議会開会で演説する女王
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