ソ連軍侵攻と停戦とは? わかりやすく解説

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ソ連軍侵攻と停戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:05 UTC 版)

シベリア抑留」の記事における「ソ連軍侵攻と停戦」の解説

第二次世界大戦末期1945年昭和20年8月9日未明ソ連日本に対して日ソ中立条約破棄して宣戦布告をし、満ソ国境展開する174万人ソ連極東軍命じて満州帝国日本領朝鮮半島北部軍事侵攻したソ連対日参戦)。 8月10日には、モンゴル人民共和国日本に対して宣戦布告した日本8月14日中立国通して降伏声明したが、ソ連8月16日には日本南樺太へ、8月18日千島列島へも侵攻し占領した樺太では直後に、千島占守島では8月22日に、日本から停戦命令下り降伏した。 これらの行動は、ソ連アメリカ・イギリスヤルタ会談に基づくものであった当時非公開であったヤルタ秘密協定では、ソ連に対して対日参戦見返りとして日本からの南樺太返還クリル諸島引き渡し満州においては旅順租借回復および大連港中東鉄道南満州鉄道対す優先的権利認定記されていた。 日本ポツダム宣言受諾したのち、8月16日には大本営から即時停戦命令出たため、関東軍総司令部停戦と降伏決定した8月17日派遣され皇族竹田宮恒徳王新京到着し8月18日には満州帝国滅亡したため、関東軍総司令官山田乙三大将ソ連極東軍司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥8月19日東部満ソ国境ハンカ湖近く停戦交渉入り8月26日頃にはソ連軍とのすべての戦闘終わった満州では停戦会談によって、武装解除後の在留民間人保護について、一応の成立見たが、ソ連軍その通りに行うことはなかった。日本軍崩壊後民間人何の保護得られず、多く被害出た。また捕虜の扱いについては一切言及されなかった。

※この「ソ連軍侵攻と停戦」の解説は、「シベリア抑留」の解説の一部です。
「ソ連軍侵攻と停戦」を含む「シベリア抑留」の記事については、「シベリア抑留」の概要を参照ください。

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