ソ連軍の総攻撃開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
「ノモンハン事件」の記事における「ソ連軍の総攻撃開始」の解説
8月20日早朝6時15分にソ連軍による爆撃と砲撃が開始され、9時に全線で地上部隊が進撃を開始した。防衛線についていた日本軍部隊は、北から、フイ高地を守備する第23師団捜索隊、ハイラースティーン(ホルステン)川の北にあるバルシャガル高地を守る歩兵3個連隊(歩兵26、63、72の各連隊)、ハイラースティーン(ホルステン)川の南にある第8国境守備隊と歩兵第71連隊であった。加えて、ノモンハンから約65キロ南に離れたハンダガヤに第7師団の歩兵第28連隊があった。その陣地は横一線に長く、兵力不足のため縦深がなかった。防衛線の左右には満州国軍の騎兵が展開して警戒にあたった。その兵員数については、正確な公式データがなく、兵員8,000名(除後方部隊) - 最大で25,000名と重砲・野砲70門であったと推計されている。 ソ連軍の作戦は、中央は歩兵で攻撃して正面の日本軍を拘束し、両翼に装甲部隊を集めて突破し、敵を全面包囲しようとするものであった。具体的には、第82狙撃師団第601連隊と第7機械化旅団、第11戦車旅団からなるシェフニコフ大佐が指揮する左翼の北方軍が、フイ高地の捜索隊を攻撃して南東に進撃。第57狙撃師団、第8機械化旅団、第6戦車旅団、第185砲兵連隊第1大隊、第11戦車旅団機関銃狙撃兵大隊、第37対戦車大隊、自走砲大隊、化学戦車中隊、モンゴル軍第8騎兵師団からなる、ポタポフ大佐が指揮する右翼の南方軍は日本の第71連隊を攻撃してハイラースティーン(ホルステン)に向けて北進し、南方軍と北方軍で日本軍を包囲するが、両軍が包囲を完了するまで、第82狙撃師団の2個連隊と、第36自動車化狙撃師団の2個連隊、第5機関銃旅団からなる、ペトロフ(ロシア語版)准将が指揮する中央軍が、ハイラースティーン(ホルステン)の両岸で正面から攻撃をかけ、日本軍主力を釘づけにする計画であった。 日本軍第6軍の歩兵1個師団と1個旅団に対して、ソ連軍が総攻撃に投入した兵力の合計は、狙撃兵4個師団、騎兵2個師団、戦車7個旅団、重砲3個師団、兵員51,950名、戦車438輌、装甲車385輌、76 mm以上の重砲・野砲292門、高射砲87門、対戦車砲130門と圧倒的で、兵員数で2倍 - 6.5倍、火砲4倍以上、戦車に至っては日本軍は0でありその戦力差は歴然であった。 日本軍は一部前線部隊を除けば、完全に不意打ちを食らった形となった。第23師団はソ連軍の意図を読み取ることができず、3方面の攻撃についてもどこが攻勢の重点が見極めることができなかった。さらに今まで何度も繰り返してきたように敵戦力を過小評価し、攻撃開始日の20日の夕刻に小松原は反転攻勢の準備を下命している。しかし、これは小松原の独断ではなく、ソ連軍の総攻撃があった場合には、ソ連軍の重点攻勢地点を逆に日本軍が側面迂回し、後方を遮断し一挙に殲滅するというのが関東軍以下第6軍、第23師団の共通の方針であった。関東軍の作戦参謀らも「我の最も好機に敵が攻勢に転じたるものにして、この機会において敵を補足し得るものと信じたり」考えていたが、ソ連軍の総攻撃を「我の最も好機に敵が攻勢に転じたる」と思った理由が 第23師団正面の陣地は逐次強化され、相当の強度を有している。 満州軍興安軍に代わって指揮官が日本人である満州軍石蘭部隊が陣地防衛に参加したこと 第7師団の森田旅団(歩兵2個大隊、砲兵1個大隊)が戦場付近におり、速やかに戦闘に参加できる。 とのことであった。しかし、陣地はソ連軍の妨害で工事進行度は3分の1、満州軍石蘭部隊はソ連軍の攻撃を受けるや日本人指揮官を殺害しソ連軍に降参し、森田旅団程度の戦力の追加では焼け石に水であるなど、関東軍の情勢分析は実情と大きく乖離していた。そんな中で、ノモンハンから離れていた辻は、この反撃攻勢を重視していた関東軍司令官植田が「第6軍は不慣れであるから」と不安を感じていたため、急遽、参謀副長の矢野と一緒にノモンハンに派遣されることとなった。ソ連軍の手強さを身に染みて思い知らされていた辻は、関東軍司令部の状況判断を見て「その戦場感覚は楽観的であった」と考えたが、第6軍の反転攻勢に対して異を唱えることはなかった。 辻はハイラルからロ式輸送機に搭乗して将軍廟にある第6軍司令部を目指したが、上空にはソ連軍の戦闘機が多数飛行しており、辻機は危うく撃墜されそうになったので、やむなく草原に不時着した。そこに通りかかったトラックに便乗して前進したが、跳梁しているソ連軍戦闘機はそれを見逃さず機銃掃射を加えてきた。辻らはトラックを降車して草原に伏せどうにか難を逃れたが、再び乗車して前進すると、今度はソ連軍戦車4~5輌を確認したので、トラックを捨て徒歩で第6軍司令部を目指した。ソ連軍の砲撃を潜りながら前進したが、道中には多数の日本軍の負傷兵が草原に横たわっていた。その中の1名の上等兵が辻の姿を見つけると「参謀殿!戦車に負けないような戦さをしてください」とか細い声で訴えてきた。辻は胸がしめつけられるような思いで「ああすまなかった」と上等兵に詫びている。
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