ソ連軍の攻勢計画とは? わかりやすく解説

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ソ連軍の攻勢計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:06 UTC 版)

第二次ハリコフ攻防戦」の記事における「ソ連軍の攻勢計画」の解説

1942年3月28日~30日にかけてクレムリン春季夏季作戦方針検討する戦略会議開かれた会議には参謀総長シャポシニコフ元帥西方面軍司令官ジューコフ上級大将参謀本部作戦部次長ヴァシレフスキー少将南西方面軍司令官チモシェンコ元帥南西方面参謀長バグラミヤン少将はじめとする赤軍幹部集結した参謀総長シャポシニコフ元帥積極防御徹して戦力回復図り戦略予備温存すべきだと主張した。それにたいしてチモシェンコ3月22日提出した南西部での南方軍集団にたいする反攻作戦を再び主張したチモシェンコスタフカ戦略予備投入求めたモスクワへの再攻勢恐れたスターリン南西方面単独での作戦案を要求4月10日南西方面軍司令部スタフカ南西方面軍の3個軍(第6軍第21軍第28軍)と1個機動集団主力とする挟撃作戦で、ハリコフ市を奪回するという新たな計画案提出したスターリンはこの改訂され攻撃案を承認し攻撃開始日は5月4日定められた。反攻主力となるのは、ハリコフ北東展開する第28軍(リャブイシェフ中将)と、第21軍ゴルドフ少将であった突出部の北翼に第6軍(ゴロドニャンスキー中将)、そして第6騎兵軍団(ノスコフ少将)と第7戦車旅団ユルチェンコ大佐)の混成部隊であるボブキン少将率い機動集団南東からハリコフに迫る。第6軍第28軍中間展開する38軍(モスカレンコ少将)が、牽制作戦行なう予定になっていた。作戦5月12日開始された。ドイツ側では、夏季攻勢計画ブラウ作戦立案されていたが、その準備的作戦としてイジュム突出部を切り取ってしまう「フリデリクス作戦」が立案されていた。第6軍(パウルス装甲兵大将)が北から第1装甲軍(クライスト上級大将)が南から、突出部の根元挟撃するものである

※この「ソ連軍の攻勢計画」の解説は、「第二次ハリコフ攻防戦」の解説の一部です。
「ソ連軍の攻勢計画」を含む「第二次ハリコフ攻防戦」の記事については、「第二次ハリコフ攻防戦」の概要を参照ください。

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