ソ連軍の敗因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:06 UTC 版)
「第二次ハリコフ攻防戦」の記事における「ソ連軍の敗因」の解説
スタフカも南西戦域軍司令部も稚拙な偵察と楽観視の結果、ドイツ軍の正確な戦力を見誤っていた。ソ連側はハリコフ地区のドイツ軍兵力を11個師団と1個装甲師団だと予測していたが実際のドイツ軍兵力は16個師団と2個装甲師団であり、ソ連側の予測をはるかに上回っていた。また各方面軍司令部の情報共有も行われず、南部方面軍司令部はボブキン機動集団の側面を脅かしていたドイツ第17軍の存在を南西方面軍司令部に伝えなかった。攻勢にむけた戦力移動も攻勢開始日時までに完了せず、作戦に参加する予定だった32個砲兵連隊のうち実際に参加したのは17個砲兵連隊だけであり、ソ連軍機動集団の中核だった第3親衛騎兵軍団は戦力の集結に作戦開始から3日かかった。様々な遅延と齟齬が戦場を混乱させ、ソ連軍の指揮系統を破綻させた。 双方がこの作戦に投入を予定していた戦力は、兵士数・戦車数・航空機数どれもそれ程差は無かった。だが、ドイツ側の巧妙な欺瞞策(隠語名「クレムリン」)により、ドイツ側の主攻撃の目標をモスクワ正面と誤認したこと、ブラウ作戦の準備で兵力を集中させている南部方面に無茶な攻撃を仕掛けたことが裏目となり、逆にウクライナの全域がドイツ側の手に入ってしまった。 ソ連軍の優位は、戦車戦力において、(前年と比して)軽戦車は減りKV-1重戦車・T-34中戦車の割合が増し、英国から供与されたマチルダII歩兵戦車・バレンタイン歩兵戦車、米国からのM3中戦車リーが加わり、戦車の質がドイツの上を行く点にあった。 対して、ドイツ軍の優位は、豊富な戦闘経験に裏打ちされた自動車化による歩兵の機動力・行き届いた連絡通信網により、単なる数量比較以上の戦闘力が出せる点にあった。 さらに重大な事は、まだソ連はドイツの戦車戦術を吸収し切っていなかったため、(前年の損害により機械化軍団は解体され、師団単位で編成するには数量不足であったとは言え)歩兵の中に旅団単位で配置した事にある。
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