ソ連軍の突破の詳細
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 14:59 UTC 版)
「ヤッシー=キシニョフ攻勢」の記事における「ソ連軍の突破の詳細」の解説
第3ウクライナ方面軍の活動(司令官:フョードル・トルブーヒン) 第3ウクライナ方面軍の主要戦地は一度全滅して再構築された第37軍(司令官:Sharokhin中将)の担当地域であった。さらに第37軍の担当地域の中でも第66狙撃兵師団と第6親衛狙撃兵師団がそれを担うこととなった。第37軍はそれらの部隊を4km幅の突破口となる戦線に配置、それは2個グループに分けられ、1つ目の梯団には2個軍団と1個軍団が予備とされた。計画によれば、最初の4日間で1日当たり15Kmをゴールとして進撃、ドイツ、ルーマニアの防衛線を7日間で110から120Kmの深さで突破することになっていた。 第66狙撃兵軍団(司令官クプリヤノフ(Kupriyanov)少将)は2つのグループ(第61親衛狙撃師団、第333狙撃兵師団が最初のグループ。第244狙撃兵師団が予備)から構成されており、さらに第46砲兵旅団、第152榴弾砲連隊第184、第1245戦車駆逐連隊、第10迫撃砲連隊、第26軽砲兵旅団、第87無反動迫撃砲連隊(87th Recoilless Mortar Regiment)、第92、第52戦車連隊、第398突撃砲連隊、そして2個突撃工兵大隊、2個火炎放射中隊がこれに付属した。
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