捕虜の射殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:59 UTC 版)
「グエン・ゴク・ロアン」の記事における「捕虜の射殺」の解説
詳細は「グエン・ヴァン・レムの処刑(英語版)」を参照 『サイゴンでの処刑』 (Saigon Execution) と題されたこの写真は、1968年2月1日、AP通信のエディ・アダムズ(英語版)によって撮影された。テト攻勢の最中のサイゴンで、グエン・ゴク・ロアンが南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の士官を路上で処刑している様子を写している。この様子はNBCニュースのカメラにも映像として撮影されたが、アダムズの写真は決定的な印象を残した。 この射殺された士官が何者であるかについてはいまだに議論があり、グエン・ヴァン・レム(阮文歛)もしくはレ・コン・ナ(ベトナム語版)であるとされている。独立宮殿や米大使館を始めとする重要施設への攻撃を担ったのは、ベトコンのサイゴン特務隊(ベトナム語版)(Biệt động Sài Gòn)である。暗号名ベイ・ロップ(Bảy Lốp)ことグエン・ヴァン・レムは、16人の隊員から成る第3特務隊の指揮官で、海軍総司令部の攻撃に割り当てられていた。だが、彼らの攻撃は失敗し、隊員のうち14人が死亡した。レムはその後に捕虜となったと言われている。後に北ベトナム側が行った調査では、当時の現地指揮官やレムの妻が、問題の士官がレムに似ていると証言したが、解放軍第5区の副司令官たる政治委員、レ・コン・ナに似ていると証言する関係者も少なくなかった 捕えられた士官はロアンの前に引き出され、ロアンは個人所有していた回転式拳銃のS&W M38を引き抜き、その場で彼の頭部を銃撃、士官はすぐさま血を吹き出しながら倒れ込んだ。その光景は、目の前にいたAP通信カメラマンのエディ・アダムズ及びNBCニュースのテレビカメラマンらによって撮影された。写真と映像は全世界に配信され、反戦運動に勢いを与え、ベトナム戦争への介入に対するアメリカの世論に多大な影響を与えることになった。エディ・アダムズはこの写真で1969年度のピュリッツァー賞を獲得した。写真を見たオーストラリア出身の従軍記者パット・バージェスは再び戦場へと戻ったという。 アダムズは、士官がロアンのジープに連行されて来るのを見て写真を撮り始めた。ロアンが拳銃を抜いても、単に捕虜を脅し尋問をするものだと思っており、射殺するとまでは思っていなかった。 撮影の直後、ロアンはアダムズに対し、「奴らはおれの同胞とあんたがたの同胞を山ほど殺したんだ。仏様も許してくれるだろう」("They killed many of our people and many of yours. I think Buddha will forgive me.")と語った。また、「躊躇すれば、あるいは責務を果たさないのなら、部下は着いてこないだろう」とも語っている。後年のインタビューによれば、撮影の時点でアダムズはこの写真を特別なものとは考えておらず、泥沼化しつつあったベトナムでの戦争、それも共産軍による一大攻勢の最中において、単に誰かが誰かを殺しただけの「ありふれた一日の出来事」のように捉えていたという。アダムズによるロアンの第一印象は、「冷酷で無慈悲な殺人者」というものだったが、彼に同行して各地を転戦した後には評価を改めた。 『サイゴンでの処刑』について、ボブ・シーファーは「戦争全体を要約したものだ」と評価したほか、ビル・エプリッジ(英語版)は「彼の写真こそ戦争が変わった瞬間だと思う」と評価している。後にホワイトハウス主任写真家を務めたデイヴィッド・ヒューム・ケナリー(英語版)は、第二次世界大戦中の有名な戦場写真『硫黄島の星条旗』と比較し、ジョー・ローゼンタールの作品がヒロイズム、愛国心、戦場での勇敢といったものを表現した一方、アダムズの作品はその正反対にある「戦争の本当の姿」を表現したのだと評した。 アダムズはこの写真(『サイゴンでの処刑』)で1969年度ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門を受賞したが、にも関わらずアダムズは後にその引き起こした衝撃を後悔していると語った。この写真は反戦のアイコンとなった。ロアンと有名になってしまった自身の写真について、アダムズは後にタイム誌に寄せたロアンへの追悼文の中で、以下のように述べている。 「 私は1969年に1人の男が別の男を撃つ写真でピュリッツァー賞を受賞した。この写真の中では2人の男が死んでいる。銃弾を受けた男、そしてグエン・ゴク・ロアン将軍だ。将軍はベトコンを殺した。私はカメラで将軍を殺した。スチール写真は世界で最も強力な武器だ。人々はそれを信じるが、たとえ手を加えてなどいなくても、写真は嘘をつく。写っているのは真実の半面だけだ。あの写真はこうは言わなかった。「あの暑い日のあの時あの場所で、あなたが将軍ならどうしただろう? 捕まえたのはいわゆる悪党で、奴は一人か二人か三人の米兵をぶっ殺した後だった。」ロアン将軍は真の戦士と呼ぶに値する人物であり、配下の将兵からも尊敬されていた。彼のしたことが正しかったとは言わないが、誰しも彼の立場に立って考えるべきだ。将軍が戦争の犠牲者のための病院をベトナムに建てようと多くの時間を費やしたことも、写真は伝えなかった。この写真は彼の人生を全く台無しにした。彼は私を決して批難しなかった。『君が撮らなくても、誰かが撮っただろう』と。それでも、私は彼や彼の家族に対して、長らく罪悪感を抱いてきた。彼とは連絡を取り合っていて、最後に話したのは6ヶ月前だ。とても具合が悪そうだった。彼が亡くなったと聞いて、花を送った。「すまなかった。涙が止まらない」という手紙を添えて。I won a Pulitzer Prize in 1969 for a photograph of one man shooting another. Two people died in that photograph: the recipient of the bullet and GENERAL NGUYEN NGOC LOAN. The general killed the Viet Cong; I killed the general with my camera. Still photographs are the most powerful weapon in the world. People believe them, but photographs do lie, even without manipulation. They are only half-truths. What the photograph didn't say was, "What would you do if you were the general at that time and place on that hot day, and you caught the so-called bad guy after he blew away one, two or three American soldiers?" General Loan was what you would call a real warrior, admired by his troops. I'm not saying what he did was right, but you have to put yourself in his position. The photograph also doesn't say that the general devoted much of his time trying to get hospitals built in Vietnam for war casualties. This picture really messed up his life. He never blamed me. He told me if I hadn't taken the picture, someone else would have, but I've felt bad for him and his family for a long time. I had kept in contact with him; the last time we spoke was about six months ago, when he was very ill. I sent flowers when I heard that he had died and wrote, "I'm sorry. There are tears in my eyes." 」 その死に際し、アダムズは彼を次のように称賛した。 「 その男は英雄であった。アメリカは涙を流すべきだ。私は人々が彼について何も知らないまま、彼が死にゆくのを見たくはない。The guy was a hero. America should be crying. I just hate to see him go this way, without people knowing anything about him. 」
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