スチル写真
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スチル写真(スチルしゃしん、英語: still picture, still photo(graphy))、もしくは、単にスチル(still)とは、動きのない静止画のこと[1][2]。スチール写真と表記されることもある。
注釈
- ^ とは言え、写真術が「ある一瞬」を切り取れるようになったのは、説によっては1000年以上もあるカメラ・オブスクラの歴史から見ればそう古いことではない。日本では、水雷の爆発による水煙を写真に撮って江崎礼二が「早撮りの江崎」と評判になったのが1884年のことである。
- ^ これの場合、成立上、銀塩写真が静止画から動画に発展したのとは逆に、電子写真は動画用のビデオカメラから派生するような形で「電子スチルビデオカメラ」が生まれている、という事情もある。
- ^ サウンド・ブリンプという。水中カメラ用の密閉ケース(水中ブリンプ[8][9])も用いられた。
- ^ 撮影スケジュールを邪魔しないよう、通常は本番の後にスチル写真を撮った。
出典
- ^ a b 「怪獣アイテム豆辞典」『東宝編 日本特撮映画図鑑 BEST54』特別監修 川北紘一、成美堂出版〈SEIBIDO MOOK〉、1999年2月20日、150頁。ISBN 4-415-09405-8。
- ^ 三輪健太朗『マンガと映画』NTT出版、2014年、304頁
- ^ スチル、デジタル大辞泉、コトバンク
- ^ スチル Excite辞書
- ^ still コトバンク
- ^ still Excite辞書
- ^ a b 『写真空間3 特集 レクチャー写真論!』青弓社、2009年、129頁
- ^ “ボレックス R16B カメラ用 ブリンプ(1962-1975)”. NHK放送博物館. 2024年2月28日閲覧。
- ^ “映画・映像 業界用語辞典 「水中ブリンプ」”. 東京映画映像学校. 2024年2月28日閲覧。
- 1 スチル写真とは
- 2 スチル写真の概要
- 3 関連項目
スチール写真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:17 UTC 版)
主役の勝新太郎と準主役の仲代達矢、三島由紀夫、石原慎太郎の4名が全員大映京都撮影所に出揃った6月初旬に、宣伝用の写真撮影が行なわれたが、その際に、『炎上』などのカメラマンを務めた宮川一夫が三島を応援するために突然やって来た。 名カメラマンとして一目置かれている宮川一夫が見学に来たことで、現場のスタッフの雰囲気が引き締まったという。宮川は、三島のメイキャップのチェックなどをした。 スチール写真には、向かって右から仲代達矢、勝新太郎、石原裕次郎、三島由紀夫が撮影所の玄関前で居並び、侍として前を凝視しているものや、その直前に撮影所から出て来たばかりで、右から勝、仲代、三島、石原が笑顔で談笑しながら並んで歩いているものもある。 勝、裕次郎、三島がそれぞれ単独で刀を構えているポスター写真も撮影された。また、映画本編の撮影現場でのスナップ的な写真もある。 参考文献となった原作小説『人斬り以蔵』の作者の司馬遼太郎は、武市半平太役の仲代達矢の顔について、「仲代達矢氏が武市半平太になっている。スチールをながめていると仲代氏の顔はスパニッシュなところが武市に似ている」とコメントしている。 映画宣伝用ではないが、三島が個人的にアルバムとしてまとめて五社監督に贈って、五社の死後にその遺族が保管していた写真(約20枚)もあり、2017年(平成29年)10月12日の京都国際映画祭で初公開される運びとなった。写真は撮影現場で侍姿の三島が勝新太郎や石原裕次郎と休憩中に談笑しているものなどである。
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スチール写真
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三島由紀夫の「俳優宣言」の記者会見の後、その会見の模様を写真入りでまとめた『大映グラフ 新春特大号』(1960年1月号)と、映画パンフレットなどに使用されたスチール写真やロビーカード、撮影現場に来た川端康成の写真などが多数掲載された『大映グラフ 陽春特大号』(1960年4月号)が刊行された。他にも『毎日グラフ』2月号には、撮影風景の写真が収められた。 三島のブロマイド写真も3種類、東京浅草のマルベル堂で販売された。三島は当時このブロマイド写真を絵葉書として知人の西久保三夫に送り、撮影が終わったことの報告と共に「ぜひ御覧の上御批評賜はり度」と記している。他には、ロケ現場で女子高生たちに囲まれてサインをしている自然体の三島を捉えたプライベート写真(撮影:講談社の川島勝)などもある。 新聞広告には、素肌に黒革ジャンを着て右手に拳銃を持ち、銃弾に撃たれた脇腹を左手で押さえながら前を睨んでいる三島の決めポーズの写真が掲載され、街には、若尾文子を抱擁する黒革ジャンの三島の映画ポスターが張り出された。 なお、雑誌『講談倶楽部』4月号では、三島が主人公の朝比奈武夫になりきって「オレ」という一人称で映画のストーリーを語っていく「『からっ風野郎』の情婦論」という文章も掲載され、「オレはなんだか、このメチャクチャな女のバカバカしい純情の中で、流行歌や純愛小説の主人公のやうな最後を遂げさうな気がする」と武夫の末路を綴っている。映画上演記念として、蓋が赤で本体が黒のライターも宣伝用に配られたという。 映画公開から44年後の2004年(平成16年)には、未発表写真20枚分とそのネガ20枚(全モノクロ・35ミリ)が明治古典会七夕大入札会において出品され、コレクターの犬塚潔が手に入れた。 その箱には「三島由紀夫」と書かれ、撮影者の田島正の経歴書や連絡先が添えられてあった。田島の話では、撮影日は1960年(昭和35年)2月の快晴の日で、雑誌『映画と演劇』(時事世界社、1960年4月号)に載せるため撮影されたものであった。三島がピストルを持っているシーン、ビールを飲むシーン、椅子に座っているシーン、階段を下りてくるところ、春の日射しを受けて笑顔の写真である。 発売された雑誌『映画と演劇』には8枚の写真が掲載されているが、その中の3枚が未発表写真の内のものと同じため、厳密にいえば17枚分が未発表写真となる。田島は当時、時事世界社に頼んで使用されたネガフィルムを返却してもらい、保存していた。黒革ジャン姿の三島は、田島のカメラの注文に素直に応じて、自らポーズをとることはなかったという。
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