エディ・アダムズ (写真家)とは? わかりやすく解説

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エディ・アダムズ (写真家)

(エディ・アダムズ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:16 UTC 版)

エディ・アダムズ
Eddie Adams
『サイゴンでの処刑』で世界報道写真大賞を授与された際のアダムズ(1968年)
生誕 (1933-06-12) 1933年6月12日
アメリカ合衆国
ペンシルベニア州ニュー・ケンジントン英語版[1]
死没 (2004-09-19) 2004年9月19日(71歳没)
アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市
職業 写真家戦争写真人物写真
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エドワード・トーマス・アダムズEdward Thomas Adams1933年6月12日[1] - 2004年9月19日[1])は、アメリカ合衆国写真家で、特に戦場カメラマンとして知られる。

概要

報道写真家として、1950年代の朝鮮戦争から1990年代の湾岸戦争まで、合計13の戦争で取材を行った[2][1]ベトナム戦争において路上で銃殺刑に処されたグエン・ヴァン・レムの射殺される瞬間を捉えた写真(『サイゴンでの処刑』)で特に知られ、この写真で1969年にピューリッツァー賞を受賞した[3]

パレード英語版』誌を中心に、人物写真(ポートレイト)においても活躍し、数々の著名人を撮影した[2]

経歴

ペンシルバニア州ニュー・ケンジントン英語版で生まれた[1]

高校に通っていた頃から、結婚式などのイベントでカメラマンを務めて報酬を得たり[1]、地元の新聞である『ケンジントン・デイリー・ディスパッチ』紙のために写真撮影したりしていた[4]

1951年にアメリカ海兵隊に入隊し、従軍カメラマンとして朝鮮戦争に従軍した[5][3]

3年ほどの従軍生活を終えた後に退役し、以降は故郷のニューケンジントンの新聞社や、『フィラデルフィア・ブレティン英語版』紙で働き、1962年にAP通信に入社した[5][1]。ほどなく、AP通信の中でも最高のカメラマンという評価を得るようになった[3]

『サイゴンでの処刑』(1968年)

『サイゴンでの処刑』(1968年2月1日)

アダムズはベトナム戦争に報道写真家として数度派遣され、3度目のベトナム派遣となった1968年、テト攻勢序盤の2月1日にグエン・ヴァン・レムの処刑に偶然立ち会い、代表作となる『サイゴンでの処刑』(Saigon Execution)を撮影した[3]

この写真はAP通信により全世界に配信されて衝撃を与え、ベトナム戦争の反戦運動に大きな影響を及ぼした。撮影者であるアダムズは数々の賞を受賞し、非常によく知られた写真家となった。一方、処刑に至る背景事情[注釈 1]が伝わらぬままこの写真が戦争の残虐性を示すものとしてのみ知れ渡ったことで、被写体となったグエン・ゴク・ロアン(処刑を執行した人物)は汚名を負うことになった。(詳細は当該記事を参照)

若い頃のアダムズはピューリッツァー賞を受賞することを熱望しており、この写真で実際に同賞を受賞したのだが、ロアンを苦しめることになったこの写真を撮影したことをアダムズは生涯に渡って後悔した[6]

この写真の中では、銃弾を受けた男と、グエン・ゴク・ロアン将軍の二人が亡くなった。将軍はベトコンを殺し、私は私自身のカメラで将軍を殺してしまった。写真はこの世で最も強力な武器なのだ。人々は写真を信じるが、改竄を伴わない場合でさえ、写真は嘘をつく。写真とは真実の半分でしかないのだ。[7] — エディー・アダムズ

『笑顔のないボート』(1977年)

『笑顔のないボート』(1977年・組写真)。6枚の内の2枚。

1972年から1976年にかけてはタイム社の『タイム』誌・『ライフ』誌に移り、1976年から1980年までは再びAP通信に戻って特派員を務めた[5][1]

1977年、ベトナム戦争の終結から2年後、共産主義勢力(ベトナム社会主義共和国{旧北ベトナム})によって祖国を追われたベトナム難民ボートピープル)を撮影した『笑顔のないボート』(Boat of No Smiles)という組写真を発表した[4]。この組写真は当時の米国大統領ジミー・カーターを動かし、カーターは米海軍に命じてタイランド湾を漂流していた難民たちを保護させ、米国政府におよそ20万人におよぶベトナム難民を受け入れさせる契機となった[5][2][4]

多くのベトナム難民を助けることにつながったことから、後年、アダムズはこの『笑顔のないボート』を自身の作品の中で最も誇りに思うと述べている[8]

こういったことでピュリッツァー賞を受賞するほうがよかった。ある程度の良い影響を与えることができたし、何より、(この写真では)誰も傷つかなかった。[1] — エディー・アダムズ

人物写真家としての活躍

1980年に『パレード英語版』誌に移り、以降は死去する2004年まで同誌の特派員を務めつつ、『タイム』、『ヴォーグ』、『ヴァニティ・フェア』など、数々の雑誌(グラフ誌)にアダムズの写真は掲載された[5]

『パレード』誌では、アダムズの写真が数百回に渡って表紙に使われた[1]。この間、政治、ファッション、ショービジネスなどの分野で幅広く撮影を行っており、ポートレート写真としては、リチャード・ニクソンからジョージ・H・W・ブッシュまでの6人のアメリカ大統領[6]、教皇ヨハネ・パウロ2世鄧小平フィデル・カストロミハイル・ゴルバチョフなど、元首クラスの人物だけでも被写体となった人物は多数に及ぶ[2]

アダムズはニューヨーク州内の自身の農場で、若い写真家向けに「エディー・アダムズ・ワークショップ」という講座を主宰し、1988年から毎年開催して後進の指導に当たった[2][1][6][3]

こうした活動をする間にも戦地の取材に引き戻され[9]湾岸戦争(1990年 - 1991年)まで戦場カメラマンとしても引き続き活動した[2][1]

死去

2004年5月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、同年9月18日、ニューヨーク市の自宅で亡くなった[2][1]。71歳没[1]

アダムズの死去から5年後[6]、遺された写真は、遺族の手によって、ドルフ・ブリスコー・アメリカ史センター英語版に寄贈された[5][6]

評価

エディ・アダムズの写真を批評することは、モーツァルトの楽曲や、スタンリー・キューブリックの映画を批評することに似ている。彼らの作品は時の試練に耐え、作品の置換の容易さ(replaceity)で、それらを人々が驚くべき地位に置いている。アダムズは市井の底辺の人々から、各国の最も高い地位にある人々まで、速報写真から人物写真まで、被写体の尊厳を尊重しつつ、撮影した。それらの写真はまた、アダムズの創造性を示すものであり、彼の写真はレンズの前にある実物以上の物を伝えた。アダムズは、必ずしも写真とは結び付かない感情を我々に感じさせるある種の才能を有していた。[4]

—ステファン・オルガスト(ジャーナリズム教育者、人文学者)

パレード英語版』誌を出版していた出版社の会長であるウォルター・アンダーソン英語版は、アダムズについて、折衷的で、比類なく、気難しい人物で、その写真は緊張感をよく捉えていたと評している[2]

AP通信の写真編集部長として共に働いたハル・ビュエル英語版は、アダムズについて、(芸能分野の人物写真家としても大成しているが)本質的には「堅苦しいニュース」向きの写真家であり、常にストーリーを物語るような写真を撮ることに鋭く焦点を当てており、完璧主義者で、撮影に当たって機会を逸したり、自身が設定した高い基準を満たしていなかったりすると、そのことに対して非常に自己批判的だった、と評している[2]

主な受賞

アダムズはそのキャリアにおいて、500以上の賞を受賞した[2]。主な賞を以下に示す。

アダムズを扱った作品

  • 『An Unlikely Weapon』(2008年) - アダムズを扱ったドキュメンタリー作品[9]

脚注

注釈

  1. ^ 射殺されたグエン・ヴァン・レムは民間人ではなく、ベトコンの軍人(大尉)であり、私服を着て民間人に偽装(便衣兵)した上で、南ベトナムの軍人とその家族を老人や子供に至るまで殺害したとされ、その嫌疑で処刑された。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Adam Bernstein (2004年9月20日). “Photojournalist Eddie Adams, Pulitzer Prize-Winner, Dies” (英語). The Washington Post. 2023年12月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j Photographer Eddie Adams Dies” (英語). CBS News (2004年9月19日). 2023年12月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e f ピュリツァー賞受賞写真全記録(ビュエル2011)、「1969年[ニュース速報部門] サイゴンでの処刑」 pp.78–80
  4. ^ a b c d Stephen Wolgast (2017年3月). “Eddie Adams: Bigger Than the Frame” (英語). National Press Photographers Association. 2023年12月21日閲覧。
  5. ^ a b c d e f About Eddie Adams” (英語). World Press Photo. 2023年12月21日閲覧。
  6. ^ a b c d e Donald R. Winslow (2011年4月19日). “The Pulitzer Eddie Adams Didn’t Want” (英語). The New York Times. 2023年12月21日閲覧。
  7. ^ Eddie Adams (1998年7月27日). “Eulogy: GENERAL NGUYEN NGOC LOAN” (英語). Time. 2023年12月21日閲覧。
  8. ^ Jennifer Peltz (2018年1月28日). “In an instant, Vietnam execution photo framed a view of war” (英語). The Associated Press. 2023年12月21日閲覧。
  9. ^ a b An Unlikely Weapon” (英語). IMDB. 2023年12月21日閲覧。
  10. ^ Eddie Adams' iconic Vietnam War photo: What happened next” (英語). BBC (2018年1月29日). 2023年12月21日閲覧。

作品集

参考資料

書籍
  • ハル・ビュエル(著)、河野純治(訳)『ピュリツァー賞受賞写真全記録』日経ナショナルジオグラフィック(発行)、日経BPマーケティング(発売)、2011年11月29日。ASIN 4863131410ISBN 978-4-86313-141-5NCID BB19523016 

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