捕虜の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:12 UTC 版)
第一次世界大戦中の1914年(大正3年)8月23日に、日本はドイツ帝国に宣戦布告し、日独戦争が始まった。青島の戦いでドイツ軍は11月7日に日本軍に降伏し、約4500名が捕虜(当時の陸軍用語で「俘虜」)となった。後に南洋群島等からの捕虜がこれに加わり、総勢約4700名が収容された。これらの将兵を「日独戦ドイツ兵捕虜(俘虜)」、「青島戦ドイツ兵捕虜(俘虜)」、「チンタオ・ドイツ兵捕虜(俘虜)」「チンタオ独軍捕虜(俘虜)」「青島ドイツ軍捕虜(俘虜)」などと呼ぶ。捕虜にはドイツ兵だけでなく、オーストリア=ハンガリー帝国兵士も含まれていた。さらに、青島で投降したドイツ軍将兵が3,906人だったのを、4千人の大台に乗せるために在留民間人が員数合わせで捕虜に加えられた。 ドイツ側の降伏後すぐに、東京では政府により対策委員会が設置され、当時の陸軍省内部に保護供与国と赤十字との関係交渉を担当する「俘虜情報局」が開設された。捕虜たちは貨物船で同年の11月中に日本に輸送され、久留米、東京、名古屋、大阪、姫路、丸亀、松山、福岡、熊本、静岡、徳島、大分の12カ所に開設された俘虜収容所に収容されることとなり、順次日本に移送された。
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