弁護側の主張
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今成から依頼を受けて控訴審から弁護を担当することになった大場茂馬は、事件の筋立てに数々の不可解な点があることを指摘している。 第一に、自白では被害者が怠け者であるための犯行とされているが、実際の被害者は借金の分を差し引いても先代より財産を増やしていたほどの働き者である。家族仲も悪くなく、300円程度の保険金を目当てに殺害に及んだというのは、動機として極めて弱い。第二に、自白では犯行前日に家族で殺害計画を練っていたところ、21時頃に父が帰ってきたため話し合いを中止したとされる。しかし、兄弟はその日の20時半まで村の青年会に出ていたことが確認されており、2人には共謀行為に参加する時間的余裕がない。 そして、弁護側が特に強く主張したのは遺体の鑑定結果についての疑問である。兄弟は自白においては2人とも、自分が杵で父を乱打したとしているが、一方で捜査時の検証調書には、被害者は「刃物を以て殺害せられ」たとある。また、新潟医学専門学校教授の川邨麟也による鑑定では、凶器は鈍器とされているが、その形状は長さ5センチメートル以上、幅2センチメートルのものと推定され、円形である杵とは食い違っている。加えて、検証調書と川邨の鑑定書にはともに、遺体頭部の6か所の傷はいずれもX字型とV字型であり、現場には広範囲に渡って血液が飛散していた、とある。これについて大場は、杵で打撃を受けた場合にも傷はX字型やV字型にはならず、血液が飛散することもなく、そもそも頭蓋骨が粉砕されるはずである、と反論した(大場は、凶器を角のある棍棒、鉈の峰、あるいは鍬の類であろうと推定している)。 その他に弁護側は、外部からの侵入の跡がないことを内部犯の証拠として挙げた検察側に対し、事件直後の現場に雪がなかったとする捜査員の証言や、あるいは反対に足跡が大雪で消された可能性などを指摘して反論している。
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弁護側の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/24 08:35 UTC 版)
弁護側が行った再鑑定によれば、扼殺の証拠とされた痕跡は、着ていた着物が首に巻きついて生じた可能性があり、被害者の主治医の診断と同じく病気に伴う事故死の可能性が高いとしている。また、弁護側は、犯行時刻とされた時刻以後に被害者宅を訪問した5人の証人尋問がいずれも裁判で却下されていることが不自然である、自白調書は白紙に署名をさせて作成したものだ、と主張しているが、いずれにしても当時の事件の関係資料が原爆による戦災で焼失しているため真偽とも立証は困難である。
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弁護側の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 14:26 UTC 版)
被疑者は一貫して無罪を主張しており、その主張は次のとおりである。 有罪の根拠は、被害者が死ぬ直前に「薬を飲まされた。H(男性の屋号)だ」と発言したという被害者の妻の証言と、生命保険金の受取人が被疑者であったことと帰宅前の被害者に最後に接触して毒物を飲ませることができた可能性が最も高い人物であるとの状況証拠だけである。 生命保険は元々は受取人は途中から却下取消を申し込み勧誘員も了承していたが、被疑者の知らないところで契約ノルマのために勧誘員によって保険契約が締結されており、被疑者が生命保険が成立していることを知らなかった可能性がある。 毒物の入手先を検察側は実証していない。 毒物の鑑定方法にも疑問がある。
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弁護側の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:23 UTC 版)
有罪判決を受けた関係者・遺族は次のように主張して、まったくのでっち上げ(フレームアップ)だと主張しており、名誉回復を求めていた。 当時非合法の秘密結社でなければならなかった日本共産党を再結成しようとする人間が、会合の写真などを撮る理由はない。 同著者の論文も情報局の検閲を通過していたため弾圧の理由はなかったはずだ。 無実を訴え続けた元被告人やその家族、支援者らは再審請求を繰り返していた。1986年に第1次、1994年に第2次再審請求の審査が行われたがいずれも棄却された。しかし、元中央公論編集者の妻ら元被告人5人の遺族が1998年に申し立てた第3次再審請求で横浜地裁は2003年に再審開始を決定した(横浜地決平15・4・15、判時1820・45)。 検察官の即時抗告申立てに対し東京高裁は抗告審(2005年3月10日)で、警察官の拷問を認定した確定判決から、 被告人らに対しても相当回数にわたり拷問を受け、虚偽の自白をしたと認められる 自白の信用性に顕著な疑いがある 横浜事件の有罪判決は、自白のみが証拠であるのが特徴 自白の信用性に疑いがあれば、有罪の事実認定が揺らぐ と認定した。「再審は事実認定の誤りの是正が基本。法解釈の誤りを理由にするのは、再審の本質と相いれない」ことを理由として検察側抗告を退け、横浜地裁の再審開始決定を支持した。東京高検は最高検と協議した結果、特別抗告を断念。再審開始が確定した。 他界した元被告人らの遺志を受け継いで再審を請求した遺族らは、「無罪の一言を聞くのはもちろん、なぜ横浜事件がつくられたのかを解明することが大事だ」と語った。これは再審が無罪を認めるだけではなく、治安維持法がどのような法律であったか、どれだけ多くの人がその害をこうむったのかを解明して、司法の犯罪と日本の戦争責任を明らかにすべき裁判であることを強調したものである。 一審の横浜地裁は、2006年2月9日、「ポツダム宣言廃止とともに治安維持法は失効し、被告人が恩赦を受けたことで、刑訴法337条2号により免訴を言い渡すのが相当」と判決する。 控訴審の東京高裁では、事実審理を行う前提となる論点であるところの、免訴判決に対して無罪判決を求めて控訴しうるかについて争われ、2007年1月19日、「被告人は刑事裁判手続きから解放され、処罰されないのだから、被告人の上訴申し立てはその利益を欠き、不適法」として、控訴を棄却した。弁護団は即日、最高裁に上告した。 最高裁判所第二小法廷は、2008年3月14日、「再審でも、刑の廃止や大赦があれば免訴になる」として遺族らの上告を棄却した。 2008年10月に開始が決定された第4次再審第一審の横浜地裁は、2009年3月30日、第3次最高裁判例を踏襲し、免訴を言い渡した。ただし、事件の被告人が無罪である可能性を示唆した上で、「免訴では、遺族らの意図が十分に達成できないことは明らか。無罪でなければ名誉回復は図れないという遺族らの心情は十分に理解できる」と述べ、刑事補償手続での名誉回復に言及した。これを受けて遺族側は控訴せず、今後刑事補償手続に移ることを明らかにした。 本件に適用される旧刑事訴訟法での控訴期限である4月6日までに元被告人遺族・検察の双方が控訴しなかったため、免訴が確定した。2009年4月30日に第4次再審請求の元被告人遺族が、刑事補償の請求手続きを横浜地裁に行った。遺族は、地裁が補償決定に際して事件が冤罪と判断することを期待すると記者会見で述べている。 2010年2月4日、横浜地裁は元被告人5人に対し、請求通り約4700万円を交付する決定を行った。審理を担当した横浜地裁の大島隆明裁判長は決定の中で、特高警察による拷問を認定し、共産党再建準備とされた会合は「証拠が存在せず、事実と認定できない」とした。その上で確定有罪判決が「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と認定し、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論づけた。再審で実体判断が行われた場合には無罪判決を受けたことは明らかであるとして、実質的に被告人を無罪と認定し、事実上事件が冤罪であったことを認めた。 本件について、その判決要旨が2010年6月24日付の官報並びに読売新聞、朝日新聞、しんぶん赤旗の3紙に横浜地裁の名前によって公告された。
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