第2次再審請求
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2010年8月に長兄の妻が第2次再審を請求した。甥の母親の死後は長兄の妻のみ再審を請求していたが、死亡した元夫の遺族も2011年8月に再審を請求した。第2次再審請求で弁護側は、共犯者の自白調書の疑問をつくための供述心理分析意見書を新証拠として、2012年12月に検察側が作成した未開示の証拠リストの開示を求める意見書などを、鹿児島地裁に提出した。鹿児島地裁は2013年3月6日に、長兄の妻及び死亡した元夫の遺族の再審請求を棄却した。弁護側は即時抗告したが2014年7月15日に福岡高裁宮崎支部は長兄の妻及び死亡した元夫の遺族の請求を棄却した。弁護側は決定を不服として特別抗告したが2015年2月に最高裁判所は退けて、長兄の妻及び死亡した元夫の再審を認めない判断が確定した 。
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第2次再審請求
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1986年(昭和61年)8月21日、弁護団は第2次再審請求を提起した。しかし1999年7月7日付で東京高裁(第4刑事部)(裁判長・高木俊夫)が請求を棄却する決定を出した。弁護団は異議を申し立てたが、2002年1月23日付で東京高裁(第5刑事部)(裁判長・高橋省吾)は異議申し立てを棄却する決定を出した。弁護団は同決定を不服として、最高裁へ特別抗告したが、2005年3月16日付で最高裁第一小法廷(裁判長・島田仁郎)が特別抗告を棄却する決定を出した ため、第2次再審請求は認められないことが確定した。
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第2次再審請求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:33 UTC 版)
2021年7月9日、久間の妻は、72歳男性の証言を新証拠として福岡地方裁判所に2度目の再審請求を行った。この男性は、弁護団が開いた記者会見にも自ら同席し、その後も名前と顔を明かしてテレビ局の取材に応じている。この男性によると、事件当日の11時ごろ(なお、2児の死亡推定時刻は胃の内容物から9時30分以前)、白色のワンボックスタイプの軽自動車を追い越した際、そこに2女児が乗っていたという。同男性は、「追い越しざまにみたら最初に女の子の顔が見えた。おかっぱ頭でランドセルを背負ってあと1人が後部座席の真ん中あたりに寝ていて、ランドセルはシートの上にとにかくよく見えたんですよ。とにかく女の子がうら寂しいというか悲しそうな顔が、それが一番印象に残っています。一瞬、誘拐じゃないかな。でもまさか2人も女の子を乗せているから。あの表情は、私が気づけばよかったんだけど」と振り返っている。さらに同男性は、久間の第1審第1回公判を傍聴しており、久間は明らかに自分が見た男と別人だったと主張し、運転していた男について、記者会見では「30~40代」、テレビ局の取材では「30前後だったと思う」と述べている。弁護士は、「約30年前のことだが印象的な出来事で、男性の記憶ははっきりしている」と述べている。
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