第2次全集版(ノヴァーク版などの新全集版)
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「ブルックナーの版問題」の記事における「第2次全集版(ノヴァーク版などの新全集版)」の解説
1951年、ブルックナー協会の活動拠点はウィーンに戻るとともに、主幹編集者をレオポルト・ノヴァークが務めることとなった。ノヴァークは、ハースの校訂した楽曲もすべて校訂をやりなおした。同時に、ハース版の問題点の解消を図り、ブルックナーの創作形態のすべての出版を目指したとされる。これらを「第2次全集版」または「ノヴァーク版」と称している。交響曲第3番、第4番、第8番については早くから改訂前後の楽譜が別々に校訂、出版されており(第3番は3種)、その部分においてはハース版の問題点は解消されている(これらの区別のために「第1稿」「第2稿」あるいは「〜年稿」などの呼び方がなされる)。 ノヴァークは健康上の理由で、1990年に主幹編集者を引退した(その翌年の5月に死去)。その後はMWVのヘルベルト・フォッグが主幹編集者に就任し、キャラガン、コールズ、ホークショー、フィリップス、コーストヴェットなどのブルックナー研究者と協力して校訂譜を作成し続け、現在に至っている。既にノヴァーク生前の1979年にはギュンター・ブローシェが第1番の「ウィーン稿」を校訂し、近年では、ノヴァーク時代に出版されなかった稿として交響曲第2番第1稿(キャラガン校訂)、第4番第3稿(コーストヴェット校訂)が出版されたほか、第2番第2稿(キャラガン校訂)、第9番(コールズ校訂)の新校訂譜が出版された(ノヴァーク引退後の出版譜は「ノヴァーク版」とは称さないのが一般的であるが、新全集に含められる)。 これとは別に独立して指揮者でもあるハンス=フーベルト・シェーンツェラーが5番と9番のみオイレンブルク社から原典版を出版しているが、まだ全集盤には至ていない。
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第2次全集版(ノヴァーク版など)
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「アントン・ブルックナー」の記事における「第2次全集版(ノヴァーク版など)」の解説
第二次世界大戦後、国際ブルックナー協会はレオポルト・ノヴァークに校訂をさせた。ブルックナーの創作形態をすべて出版することを目指したとされる。ハースが既に校訂した曲もすべて校訂をやりなおし、あらためて出版した。これらを「第2次全集版」または「ノヴァーク版」と称している。交響曲第3番、第4番、第8番については早くから、改訂前後の譜面が別々に校訂・出版されており(第3番は3種)、その部分においてはハース版の問題点は解消されている。これらは区別のために「第1稿」「第2稿」あるいは「〜年稿」などと呼ばれる。 ノヴァークに少し遅れてハンス・フーベルト・シェーンツェラー(Hans-Hubert Schönzeler)が第5番と第9番の校訂版をオイレンブルク社から出したが、全集にはなっていない。 ノーヴァクの作業は1990年以降は次の世代にあたるウィリアム・キャラガン、ベンヤミン=グンナー・コールス(英語版、ドイツ語版)、ベンヤミン・コーストヴェット(Benjamin Korstvedt)などに引き継がれ、現在に至るまで、校訂譜や異稿が出版されている。 国際ブルックナー協会による楽譜はウィーンのMusikwissenschaftlichen Verlagから出版されている。
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