版の問題とは? わかりやすく解説

版の問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 08:59 UTC 版)

交響曲第3番 (グリエール)」の記事における「版の問題」の解説

指揮者レオポルド・ストコフスキーはこの作品を非常に評価しスラヴ文化集大成見なしていた。それでも1930年に、この作品聴衆親しまれていないことに鑑みて、この作品カットすることを許可してくれるように作曲者頼んでいる。グリエール自身が本気でそのような選択をしたのかはともかくもアメリカ合衆国大指揮者に取り上げられる可能性動かされたのは間違いなくストコフスキー提案同意することにしたのである。そこでストコフスキー本作を、およそ45分長さ切り詰めて、たびたびこの短縮版録音行なったちなみにユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団録音ストコフスキー版用いている)。このような裏切り」によって作品はあまり壮大ではなくなり、交響曲サイズ連作交響詩ないしは交響組曲といった観は免れなくなったものの、ストコフスキー版がそれ自体魅力醸し出しており、非常に効果的であるのは疑い余地がないしかしながらこのような変更が必要であるとは他の指揮者からは認められておらず、ヘルマン・シェルヘンハロルド・ファーバーマンヨアフ・タルミドナルド・ジョハノスエドワード・ダウンズ録音は、全曲カットなしで、原曲気宇壮大雰囲気伝え演奏となっている。このように現在では、一般音楽愛好家にとってノーカット原曲盤が入手しやすくなっている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 06:05 UTC 版)

交響曲第9番 (ベートーヴェン)」の記事における「版の問題」の解説

この作品は、その斬新な作風から解釈オーケストレーションについて多く問題含んでおり、19世紀後半ワーグナーマーラーワインガルトナーといった名指揮者・作曲家によるアレンジ慣例化している他、ストコフスキー近衛秀麿トスカニーニなども独自のアレンジ施しており、幾つかCDなど録音検証することが可能である。それらは演奏実践有益な示唆含んでいるが、同時に作曲当時には存在していなかった楽器法取り入れた結果曲本来の姿を伝え上で障害ともなっている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 15:29 UTC 版)

ロココの主題による変奏曲」の記事における「版の問題」の解説

チャイコフスキーはこの曲を書く際、フィッツェンハーゲン意見参考しながら作曲していた。しかしフィッツェンハーゲン初演に際してチャイコフスキーから許可されていたチェロ独奏パート変更だけでなく、無断オリジナル第8変奏カットしたうえ、変奏曲順大幅に入れ換えて演奏したフィッツェンハーゲンチャイコフスキー自筆譜直接同じインク書き入れている)。フィッツェンハーゲン改訂演奏効果高めることを狙って成功したものの、チャイコフスキー変奏順で考えていた楽曲の構成無視されることとなったチャイコフスキー楽譜出版していたピョートル・ユルゲンソンも「とんでもないことに、フィッツェンハーゲンはあなたの曲を変更する許可与えろと言っている。これじゃ『フィッツェンハーゲン改訂版』だ!」と怒りの手紙を送っている。しかし彼の演奏で有名となったこの曲は、結局このフィッツェンハーゲン版で出版されることとなったチャイコフスキー本人も、1888年フィッツェンハーゲン弟子であるアナトーリー・ブランドゥコーフチャイコフスキーの本来の意図について質問したところ、チャイコフスキーがいらいらした様子で「もういいよ、そのままで!」と吐き捨てたというように苦々しく思ってたようだが、数々演奏会での好評様子と、この曲の評価高めた自負する手紙送ってきたフィッツェンハーゲン配慮したのか、彼が亡くなった後も自身の本来の版で出版することはしなかった。 その後フィッツェンハーゲン書き込み入った自筆譜はブランドゥコーフを経て1930年にヴィクトル・クバツキーの手に渡る。チャイコフスキー意図復元しようと考えたクバツキーは、モスクワ犯罪科学調査研究所協力によりX線電子光学整流器によりチャイコフスキー筆跡判定する作業取りかかり、20年上かけ1955年7月原典版復元成功。翌1956年チャイコフスキー全集として出版された。この時スコアしか出版されなかったことや演奏効果の面などから多く演奏家が現在でもフィッツェンハーゲン版を用いているが、近年ではラファエル・ウォルフィッシュ、ジュリアン・ロイド・ウェバースティーヴン・イッサーリスなどこの原典版による演奏増えつつある。日本でも藤原真理校訂により全音楽譜出版社より発売されている。 なお、先述通りチャイコフスキー国際コンクールチェロ部門課題曲であるが、第12回(2002年)大会からは原典版演奏による参加規定されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 10:24 UTC 版)

交響曲第7番 (ブルックナー)」の記事における「版の問題」の解説

初版」はブルックナー生前初演翌年1885年出版された。国際ブルックナー協会による原典版は、ハース版(第1次全集版)は1944年に、ノヴァーク版(第2次全集版)は1954年出版された。この曲は、第1番第4番第8番のように、ブルックナー自身による大改訂が行われたわけではないが、残され自筆稿・資料解釈相違から、初版ハース版・ノヴァーク版の間で、相違見せ箇所いくつかある。 この曲は1883年にいったん完成されたが、その後1884年初演1885年出版に至るまで細部改訂続けられた。残され自筆稿その他の資料から、1883年段階のものを明確にさせ分離することは、研究者の間でも不可能と判断されている。また、この間なされた改訂加筆ブルックナー自身意志よるものか、あるいは弟子指揮者意見振り回されたものか、決定的な判断できない箇所が多いとされるまた、初演当たってブルックナーニキシュ入念な打ち合わせ行い何度手紙やりとりしており、これらも重要な資料としてハース・ノヴァークが参照している。ハースできるかぎりブルックナー本来の意図探ろう校訂し一方ノヴァーク譜面として残されブルックナー最終判断尊重しようとしたと言われる

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