第2次中日時代
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2001年、古巣の中日は新外国人のティム・アンローやオジー・ティモンズを含め、打撃が振るわない状態だった。中日からオファーを受け、4月21日に復帰することで合意。4月28日に再来日し、5試合前後二軍戦に出場してから一軍昇格する予定だったが、チームの打線が深刻な不振に陥っていたため、5月3日の二軍戦に出場しただけで4日に一軍昇格。同日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)から試合に出場した。最終的に打率.306、19本塁打を記録した。この年は右膝痛がひどく、特注のサポーターを着けてプレーしていた。 2002年も、右膝痛と闘いながら4番打者として活躍した。5月31日の対横浜戦(ナゴヤドーム)で左翼5階席に飛び込む推定飛距離140 mの特大本塁打を放った。6月12日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で6回裏に井川慶から左越に同点となるソロ本塁打を放ち、通算150本塁打を達成。しかし、7月3日の対巨人戦(東京ドーム)で右膝痛を悪化させ戦線離脱。その後も経過が思わしくないため、7月11日に右膝の精密検査を受けるためアメリカに帰国。10月1日の『中日スポーツ』の記事で、同年限りでの退団が決定的となったことが報道され、11月23日に翌年の契約を結ばないことが正式に発表された。同年限りで現役を引退。現役終盤は足やヒザの炎症に悩まされていたため、再入団後は一塁手での起用も多かった。
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第2次中日時代
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2004年シーズンにはタイプが似ている同じ内野手の川相昌弘が加入。結局ルーキーイヤー以来の一軍出場なしに終わり、同年のシーズンオフに自由契約となった。12球団合同トライアウトで新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスの新監督田尾安志の目に留まり、無償トレードで楽天へ移籍。
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