第2次世界大戦後の解散と主要な店舗跡の活用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 09:01 UTC 版)
「京阪デパート」の記事における「第2次世界大戦後の解散と主要な店舗跡の活用」の解説
太平洋戦争終戦直後の1945年(昭和20年)8月28日に株式会社京阪デパートは解散し、天満店などの店舗の建物は京阪電気鉄道が戦時統合で阪神急行電鉄と合併して1943年10月に設立された母体企業の京阪神急行電鉄に買収された。天満橋店の営業も京阪神急行電鉄に譲渡されて同社が当時直営していた阪急百貨店の一部となり、阪急天満橋マーケットとして1946年(昭和21年)に営業を開始した。1947年(昭和22年)4月1日に京阪神急行電鉄の百貨店部門が「株式会社阪急百貨店」として独立したことに伴い、阪急百貨店天満橋支店となった。 その後、京阪電気鉄道(2代・1949年12月に京阪神急行から分離独立する形で再発足)が、淀屋橋駅までの地下線による京阪本線の延長工事を行う際に敷地の地下を通過することになった関係で、1961年(昭和36年)に阪急百貨店天満橋支店は閉店し、当社が建設した天満橋の店舗の建物は工事の一環として解体された。 淀屋橋駅までの地下線による延長工事の完了後に新たに建設された天満橋駅のビルには、1966年(昭和41年)に松坂屋大阪店が日本橋から移転する形で入居したが、一度も黒字を出せず2004年(平成16年)5月5日に閉店となった。 その松坂屋大阪店跡を京阪電気鉄道(2代)が改修して、2005年(平成17年)5月27日に専門店ビル京阪シティモールを開業させた。 また、天六支店跡はビル内にターミナル駅を持っていた旧新京阪鉄道の新京阪線がそのまま京阪神急行電鉄に残ることになったため、その後も阪急電鉄(1973年に京阪神急行電鉄より改称)の所有する建物として存続し、阪急百貨店の子会社だった阪急共栄物産が運営するスーパーマーケットの阪急共栄ストアなどが入居するビルとなり、同社が再編されたことに伴い阪急ファミリーストアとして営業を続けていたが、閉店して2010年にビルは解体された。跡地には2013年に超高層マンション「ジオタワー天六」が竣工しており、1階部分に阪急ファミリーストアの後継店舗として阪急オアシス天六店が入居した。
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